クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第22番 ヘ長調 Op.54

(P)クラウディオ・アラウ 1965年10月録音





Beethoven: Piano Sonata No.22 In F, Op.54 [1. In Tempo d'un Menuetto]

Beethoven: Piano Sonata No.22 In F, Op.54 [2-1. Allegretto]

Beethoven: Piano Sonata No.22 In F, Op.54 [2-2. Piu allegro]


二つの偉大なソナタに挟まれているためか、この作品の評判は至って芳しくありません

「ワルトシュタイン」と「アパショナータ」という2つの大きなソナタの間に挟まれた2楽章構成の小さなソナタです。
既に何度もふれているのですが、ベートーベンという男は膨張と拡大のあとに必ず縮小します。

普通に考えれば、「テンペスト」で「新しい道」に進むことを明言し、「ワルトシュタイン」でその道を踏み固めたならば、そのまま「アパショナータ」という到達点に向かって一直線で進めばいいのにと思ってしまいます。そして、それはそんなに難しいことではなかったように思うのですが、ここでもベートーベンは一度収縮してみせるのです。

そして、そう言う「収縮」した作品はこれ以前においても評判はよくなかったのですが、二つの偉大なソナタに挟まれているためか、この作品の評判は至って芳しくありません。
「フィデリオの合間をぬって作曲されたために、あまり良い物ができなかった」くらいならばまだいいのですが、「音の遊び」とか「出版屋に追われて書いたもの」という酷評も存在しました。

ちなみにローゼン先生はこの作品について次のように述べています。

様式は単調で、表現はぶっきらぼうに見える。・・・(しかし)これは簡単には解き明かされないものの、厳しい吟味に耐える隠された詩である。


「簡単には解き明かされない隠された詩」というのはなかなかにそそられる表現ではあるのですが、それが前段の「単調」で「ぶっきらぼう」とどのように結びつくのかは彼の文章を読んでもよく分かりません。
ただし、「単調」で「ぶっきらぼう」というのは何となく分かるような気がします。

第1楽章の(おそたくは)トリオに当たる部分は一拍ごとにsfがついていて、おまけに左右のフレーズが噛み合わないように書かれているので、そこで期待される優美さとは縁遠い無骨でぶっきらぼうな音楽になっています。
第2楽章のアレグロは止まることのない無窮動的な音楽なので「単調」な感じを与えることは言うまでもありません。

ですから、ここから「隠された詩」を教えてくれるような演奏というのはほとんど聞いたことはないような気がします。
ただし、この「単調」さと「ぶっきらぼう」がベートーベンの実験精神の表れであることには気づくことが出来ます。

ベートーベンはこのソナタにおいて、驚くほどに少ない素材でもって音楽を構築しようとしています。そのために、通常の形式に寄りかかることを放棄しています。
第1楽章はソナタ形式のようでもあり、ロンド形式のようでもあります。ベートーベンは「In tempo d'un Menuetto」と記しているのでシンプルな「A-B-A」かもしれませんが、上で述べたように「B」の部分は無骨ですし、帰ってくる「A」は装飾過多です。
ただし、その過多と思える装飾音が音楽を前に進めていく推進力になっているともみることが出来ます。

何とも言えず不思議なスタイルです。

また、第2楽章もソナタ形式のようでもあり3部形式でもあるようなスタイルをもっています。
ソナタ形式と見るならば提示部に対して展開部が異例に長すぎることになるのですが、ローゼン先生はその様なありきたりな捉え方はベートーベンの実験精神を過小評価するものだと指摘し、展開部が提示部の役割の一部をになっているのだと述べています。
よく分からんと言えば分からん話なのですが、それでも変わったスタイルであることは事実です。

しかし、その変わったスタイルは限界までに切り詰められた素材でもって独立した音楽を作りあげる実験の成果だったと言うことは何となく納得はいきます。
それ故に、「音の遊び」という評価はもしかしたらこの作品の本質の一面を言い当てているかもしれません。
そして、アパショナータという中期における到達点に達するためには、その様な実験が必要だったと言うことは見ておく必要があるのです。

べートーベンという作曲家は驚くほどに慎重な男だったのです。


  1. 第1楽章:In tempo d'un Menuetto

  2. 第2楽章:Allegretto



アラウという人はドイツの「型」を色濃く「伝承」しているピアニストと言えそうです


日本の伝統芸能の世界には「芸養子」なる制度があります。能や歌舞伎の役者に子供がいない場合には、能力がある弟子を実際の子供(養子)として認めて育てていくシステムのことです。
芸事というのは、大人になってから学びはじめては遅い世界なので、芸事の家に生まれた子供は物心が付く前から徹底的に仕込まれることでその芸の世界を次に繋いでいきます。ですから、伝えるべき子供がいないときには、「芸養子」を迎えてその芸を継がせるのです。

アラウという人の出自を見てみると、彼もまた「芸養子」みたいな存在だと思わせられました。
彼は幼くしてリストの弟子であったクラウゼの家に住み込み、そのクラウゼからドイツ的な伝統の全てを注ぎ込まれて養成されたピアニストです。ですから、出身はアルゼンチンですが、ピアニストとしての系譜は誰よりも純粋に培養されたドイツ的なピアニストでした。

まるでドイツという国の「芸養子」みたいな存在です。
彼の中には、良くも悪くも、「伝統的なドイツ」が誰よりも色濃く住み着いています。

言うまでもないことですが、楽譜に忠実な即物主義的な演奏はドイツの伝統ではありません。ですから、アラウの立ち位置はそんなところにはありません。
おそらく、伝統的なドイツから離れて、そう言う新しい波に即応していったのはどちらかと言えばバックハウスの方でした。

こんな事を書けば、バックハウスやケンプこそがドイツ的な伝統を受け継いだ正統派だと見なされてきたので、お前気は確かか?と言われそうです。
しかし、60年代の初頭に一気に録音されたアラウのベートーベン、ピアノソナタ全集をじっくり聞いてみて、なるほど伝統的なドイツが息づいているのはバックハウスではなくてアラウなんだと言うことに気づかされるのです。

言うまでもないことですが、芸事の伝統というのは学校の勉強のようなスタイルで伝わるものではありません。そうではなくて、そう言う伝統というのは劇場における継承として役者から役者へ、もしくは演奏家から演奏家へと引き継がれるものです。
そして、その継承される内容は理屈ではなくて一つの「型」として継承されていきます。そして、その継承される「型」には「Why」もなければ「Because」もないのが一般的です。

特に、その芸事の世界が「伝承芸能」ならば、「Why」という問いかけ自体が「悪」です。何故ならば、「伝承芸能」の世界において重要なことは「型」を「伝承」していくことであって、その「型」に自分なりのオリジナリティを加味するなどと言うことは「悪」でしかないからです。
それに対して、「伝統芸能」であるならば、取りあえずは「Why」という問いかけは封印した上で「型」を習得し、その習得した上で自分のオリジナリティを追求していくことが求められます。

「伝統芸能」と「伝承芸能」はよく同一視されるのですが、本質的には全く異なる世界です。
そして、西洋のクラシック音楽は言うまでもなく「伝統芸能」の世界ですから、「型」は大事ですが「型」からでることが最終的には求められます。

しかし、「伝承」の色合いが濃い演奏家というのもいます。
そう言う色分けで言えば、アラウという人はドイツの「型」を色濃く「伝承」しているピアニスト言えそうなのです。

この事に気づいたのは、チャールズ・ローゼンの「ベートーベンを読む」を見たことがきっかけでした。
このローゼン先生の本はピアノを実際に演奏しないものにとってはかなり難しいのですが、丹念に楽譜を追いながらあれこれの録音を聞いてみるといろいろな気づきがあって、なかなかに刺激的な一冊です。
そして、ローゼン先生はその著の中で、何カ所も「~という誘惑を演奏者にもたらす」という表現を使っています。

そして、そう言う誘惑にかられる部分でアラウはほとんど躊躇うことなく誘惑にかられています。

例えば、短い終止が要求されている場面では音を伸ばしたい要求にとらわれます。そうした方が、明らかに聞き手にとっては「終わった」と言うことが分かりやすいので親切ですし、演奏効果も上がるからです。
アラウもまた、そういう場面では、基本的に音を長めに伸ばして演奏を終えています。
例えば、緩徐楽章では、その悲劇性をはっきりさせるために必要以上に遅めのテンポを取る誘惑にかられるともローゼン先生は書いています。その方が悲劇性が高まり演奏効果が上がるからです。
アラウもまた、そう言う場面ではたっぷりとしたテンポでこの上もなく悲劇的な音楽に仕立てています。

そして、そうやってあれこれ聞いていてみて、そう言う誘惑にかられる場面でバックハウスは常に禁欲的なので驚かされました。
そして、なるほど、これが戦後のクラシック音楽を席巻した即物主義というものか、と再認識した次第です。

逆に言えば、そう言う演奏効果が上がる部分では、「楽譜はこうなっていても実際にはこういう風に演奏するモンなんだよ」というのが劇場で継承されてきた「型」、つまりは「伝統」なのだとこれまた再認識した次第なのです。

そして、バックハウスは「型」を捨ててスコアだけを便りにベートーベンを構築したのだとすれば、アラウは明らかに伝統に対して忠実な人だったと言わざるを得ないようなのです。

そして、クラシック音楽の演奏という行為は「伝承芸能」ではないのですから、そう言う「型」を守ることはマーラーが言ったような「怠惰の別名」になる危険性と背中合わせになります。
このアラウの全集録音が、そう言う危険性と背中合わせになりながらもギリギリのところで身をかわしているのか、それともかわしきれていないのかは聞き手にゆだねるしかありません。

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