クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第12番「葬送」 変イ長調 Op.26

(P)クラウディオ・アラウ 1962年6月録音





Beethoven:Piano Sonata No.12 in A-flat major, Op.26 [1.Andante con variazioni

Beethoven:Piano Sonata No.12 in A-flat major, Op.26 [2.Scherzo. Allegro molto]

Beethoven:Piano Sonata No.12 in A-flat major, Op.26 [3.Marcia funebre sulla morte d'un eroe. Maestoso andante]

Beethoven:Piano Sonata No.12 in A-flat major, Op.26 [4.Allegro]


ウィーンの伝統様式を身にまとった18世紀的なソナタからは離れていく

このソナタは18世紀的なソナタを自らのものとし、その伝統的な様式を自由に操る能力を身につけたベートーベンがいよいよ新しい世界に踏み出したことを「密やか」に宣言した作品だと言えます。
それは、このソナタが書かれた1800年に第1番の交響曲と、作品番18の6曲からな弦楽四重奏曲を書き上げている事からも窺うことが出来ます。

ピアノソナタ、交響曲、弦楽四重奏曲という3つのジャンルは、ベートーベンの生涯を貫いて取り組まれたジャンルでした。パウル・ベッカーは「オーケストラの音楽史」の中で次のように述べています。

「ベートーベンのオーケストラ曲は、彼の創作活動の原点ではない。かといって、その頂点でもない。前者に相当するのはピアノソナタであり、後者に当たるのは弦楽四重奏曲だ。」

確かに、彼はピアノソナタというジャンルで道を切り開き、交響曲という分野でそれを踏み固め、そして弦楽四重奏曲の世界で完成させました。そして、その完成させた道のきざはしで、再びピアノソナタというジャンルにおいて新しい道を切り開きはじめるのです。
この作品番号26の変イ長調ソナタは、まさにその様にして新しい道を切り開きはじめた最初の作品なのです。

ですから、そこではウィーンの伝統様式を身にまとった18世紀的なソナタからは離れていくことになります。
それは、言葉をかえれば、これ以降のソナタにおいてはベートーベンならではの強い個性が刻印されるような作品が生み出されていくことを意味したのです。

それでは、このソナタの「新しさ」は何かと言えば、それは4楽章構成のどの楽章においてもソナタ形式が採用されていないと言うことです。
ですから、このソナタはロマン派風の性格的小品の作品群という佇まいをもっています。

例えば、第1楽章冒頭の「Andante」の美しさは後の時代のジョパンを思わせます。実際、ショパンは数あるベートーベンのソナタの中でもこのソナタを好んだと伝えられています。

しかしながら、この変奏曲形式で書かれた叙情的な音楽では、その叙情性を打ち消すように「subito piano(急激に弱く)」が多用されています。クレッシェンドの後に突然ピアノにすることを要求するこの手法はベートーベンがはじめて用いたと言われていますが、この聞き手を驚かせる手法は最晩年まで用いられることになります。
ちなみに、この「subito piano」は前作の作品22のソナタの最終楽章においても多用されていました。

また、ローゼン先生は、多くのピアニストがこの変奏曲形式の音楽において、その変奏の性格に引きずられてテンポを遅くしたり速くしたりする誘惑にかられることが多い(第3変奏は遅く、第4変奏は速く)と述べて、その様な根拠はどこにもないと指摘しています。

続く第2楽章は洗練されたスケルツォで、そのアクセントの処理においてはその洗練を損なうことは許されません。
そして、第3楽章は「ある英雄の死を悼む葬送行進曲」とタイトルがつけられているのですが、その「英雄」とは具体的な誰かをイメージしたものではなくて、一つの抽象的な存在としてイメージされたものだと思われます。

この楽章ではベートーベンはティンパニと金管楽器の響きをイメージしていることは明らかであり、ピアニストはその事を意識してペダルを使い分けることが求められます。
ティンパニーのロールにはベダルを添え、金管の響きにはペダル無しの乾いた響きが必要です。
また、ローゼン先生は、「葬送行進曲」というタイトルに引きずられて必要以上に遅いテンポを設定するのは現代人の偏見であると述べています。

そして、最終楽章のロンド形式だけが、どこか昔ながらのスタイルを思い出させてくれます。

確かに、一つもソナタ形式を持たないがゆえに「はっきりとした中心的をもたない作品」と言われることも多いのですが、それでも聞き終わってみればどこかに大きな統一感を感じることも事実です。
そして、何よりも「葬送行進曲」がもつ圧倒的な感情の発露は、そう言う細かいことを忘れさせるほどの力があることは事実なのです。

ベートーベンはこの作品によって、未だ誰も踏み出したこともない、そして引き返すことの不可能な新しい道へと踏み出したのです。


  1. 第1楽章:アンダンテ・コン・ヴァリアティオーニ 変イ長調 (変奏曲形式)

  2. 第2楽章:スケルツォ 変イ長調

  3. 第3楽章:「ある英雄の死を悼む葬送行進曲」 変イ短調

  4. 第4楽章:アレグロ 変イ長調 (ロンド形式)




アラウという人はドイツの「型」を色濃く「伝承」しているピアニストと言えそうです


日本の伝統芸能の世界には「芸養子」なる制度があります。能や歌舞伎の役者に子供がいない場合には、能力がある弟子を実際の子供(養子)として認めて育てていくシステムのことです。
芸事というのは、大人になってから学びはじめては遅い世界なので、芸事の家に生まれた子供は物心が付く前から徹底的に仕込まれることでその芸の世界を次に繋いでいきます。ですから、伝えるべき子供がいないときには、「芸養子」を迎えてその芸を継がせるのです。

アラウという人の出自を見てみると、彼もまた「芸養子」みたいな存在だと思わせられました。
彼は幼くしてリストの弟子であったクラウゼの家に住み込み、そのクラウゼからドイツ的な伝統の全てを注ぎ込まれて養成されたピアニストです。ですから、出身はアルゼンチンですが、ピアニストとしての系譜は誰よりも純粋に培養されたドイツ的なピアニストでした。

まるでドイツという国の「芸養子」みたいな存在です。
彼の中には、良くも悪くも、「伝統的なドイツ」が誰よりも色濃く住み着いています。

言うまでもないことですが、楽譜に忠実な即物主義的な演奏はドイツの伝統ではありません。ですから、アラウの立ち位置はそんなところにはありません。
おそらく、伝統的なドイツから離れて、そう言う新しい波に即応していったのはどちらかと言えばバックハウスの方でした。

こんな事を書けば、バックハウスやケンプこそがドイツ的な伝統を受け継いだ正統派だと見なされてきたので、お前気は確かか?と言われそうです。
しかし、60年代の初頭に一気に録音されたアラウのベートーベン、ピアノソナタ全集をじっくり聞いてみて、なるほど伝統的なドイツが息づいているのはバックハウスではなくてアラウなんだと言うことに気づかされるのです。

言うまでもないことですが、芸事の伝統というのは学校の勉強のようなスタイルで伝わるものではありません。そうではなくて、そう言う伝統というのは劇場における継承として役者から役者へ、もしくは演奏家から演奏家へと引き継がれるものです。
そして、その継承される内容は理屈ではなくて一つの「型」として継承されていきます。そして、その継承される「型」には「Why」もなければ「Because」もないのが一般的です。

特に、その芸事の世界が「伝承芸能」ならば、「Why」という問いかけ自体が「悪」です。何故ならば、「伝承芸能」の世界において重要なことは「型」を「伝承」していくことであって、その「型」に自分なりのオリジナリティを加味するなどと言うことは「悪」でしかないからです。
それに対して、「伝統芸能」であるならば、取りあえずは「Why」という問いかけは封印した上で「型」を習得し、その習得した上で自分のオリジナリティを追求していくことが求められます。

「伝統芸能」と「伝承芸能」はよく同一視されるのですが、本質的には全く異なる世界です。
そして、西洋のクラシック音楽は言うまでもなく「伝統芸能」の世界ですから、「型」は大事ですが「型」からでることが最終的には求められます。

しかし、「伝承」の色合いが濃い演奏家というのもいます。
そう言う色分けで言えば、アラウという人はドイツの「型」を色濃く「伝承」しているピアニスト言えそうなのです。

この事に気づいたのは、チャールズ・ローゼンの「ベートーベンを読む」を見たことがきっかけでした。
このローゼン先生の本はピアノを実際に演奏しないものにとってはかなり難しいのですが、丹念に楽譜を追いながらあれこれの録音を聞いてみるといろいろな気づきがあって、なかなかに刺激的な一冊です。
そして、ローゼン先生はその著の中で、何カ所も「~という誘惑を演奏者にもたらす」という表現を使っています。

そして、そう言う誘惑にかられる部分でアラウはほとんど躊躇うことなく誘惑にかられています。

例えば、短い終止が要求されている場面では音を伸ばしたい要求にとらわれます。そうした方が、明らかに聞き手にとっては「終わった」と言うことが分かりやすいので親切ですし、演奏効果も上がるからです。
アラウもまた、そういう場面では、基本的に音を長めに伸ばして演奏を終えています。
例えば、緩徐楽章では、その悲劇性をはっきりさせるために必要以上に遅めのテンポを取る誘惑にかられるともローゼン先生は書いています。その方が悲劇性が高まり演奏効果が上がるからです。
アラウもまた、そう言う場面ではたっぷりとしたテンポでこの上もなく悲劇的な音楽に仕立てています。

そして、そうやってあれこれ聞いていてみて、そう言う誘惑にかられる場面でバックハウスは常に禁欲的なので驚かされました。
そして、なるほど、これが戦後のクラシック音楽を席巻した即物主義というものか、と再認識した次第です。

逆に言えば、そう言う演奏効果が上がる部分では、「楽譜はこうなっていても実際にはこういう風に演奏するモンなんだよ」というのが劇場で継承されてきた「型」、つまりは「伝統」なのだとこれまた再認識した次第なのです。

そして、バックハウスは「型」を捨ててスコアだけを便りにベートーベンを構築したのだとすれば、アラウは明らかに伝統に対して忠実な人だったと言わざるを得ないようなのです。

そして、クラシック音楽の演奏という行為は「伝承芸能」ではないのですから、そう言う「型」を守ることはマーラーが言ったような「怠惰の別名」になる危険性と背中合わせになります。
このアラウの全集録音が、そう言う危険性と背中合わせになりながらもギリギリのところで身をかわしているのか、それともかわしきれていないのかは聞き手にゆだねるしかありません。

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