ハイドン:交響曲102番 変ロ長調
イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 フランス国立放送管弦楽団 1955年5月26日~27日録音
Haydn:Symphony No.102 in B-flat major [1.Largo - Vivace]
Haydn:Symphony No.102 in B-flat major [2.Adagio]
Haydn:Symphony No.102 in B-flat major [3.Menuet (Allegro) - Trio]
Haydn:Symphony No.102 in B-flat major [4.Finale (Presto)]
ベートーベンの一歩手前まで歩を進めている
フランス革命による混乱のために、優秀な歌手を呼び寄せることが次第に困難になったためにザロモンは演奏会を行うことが難しくなっていきます。そして、1795年の1月にはついに同年の演奏会の中止を発表します。
しかし、イギリスの音楽家たちは大同団結をして「オペラコンサート」と呼ばれる演奏会を行うことになり、ハイドンもその演奏会で最後の3曲(102番~104番)を発表しました。
そのために、厳密にいえばこの3曲をザロモンセットに数えいれるのは不適切かもしれないのですが、一般的にはあまり細かいことはいわずにもザロモンセットの中に数えいれています。
このオペラコンサートは2月2日に幕を開き、その後2週間に1回のペースで開催されました。そして、5月18日まで9回にわたって行われ、さらに好評に応えて5月21日と6月1日に臨時演奏会も追加されました。
- 交響曲102番:94年作曲 95年2月2日初演
- 交響曲103番「太鼓連打」:95年作曲 95年3月2日初演
- 交響曲104番「ロンドン」:95年作曲 95年5月4日初演
ハイドンはザロモン・コンサートとそれに続くオペラコンサートによって2400ポンドの収入を得ました。そして、それを得るためにかかった費用は900ポンドだったと伝えられています。
エステルハージ家に仕えた辛苦の30年で得たものがわずか200ポンドだったことを考えれば、それは想像もできないような成功だったといえます。
ハイドンはその収入によって、ウィーン郊外の別荘地で一切の煩わしい出来事から解放されて幸福な最晩年をおくることができました。
ハイドンは晩年に過ごしたこのイギリス時代を「一生で最も幸福な時期」と呼んでいますが、それは実に納得のできる話です。
交響曲102番 変ロ長調
ハイドンの交響曲には「名前」がついているものが多いです。そのほとんどはハイドン自身があずかり知らぬところで命名されたのですが、抽象性の高い言葉を伴わない器楽曲ではそれは疑いもなく一つの取っかかりにはなります。
ですから、そのタイトルが何らかのミスリードを引き起こす危険性を含んでいるとしても、「交響曲第102番」と素っ気なく言われるよりは、「時計」とか「軍隊」とか「太鼓連打」と言われる方が親しみが持てるのです。
そして、それが「ロンドン」みたいな、ほとんど何の根拠もないようなタイトルであっても、明らかにないよりはあった方がよかったようなのです。
と言うことで、ハイドン最晩年の交響曲の中では、この102番だけが「名無し」です。そして、名無しゆえに認知度は非常に低いのですが、疑いもなくハイドンの最高傑作の一つであることは事実です。
オペラの序曲から身を起こし、やがてはクラシック音楽の王道と呼ばれる地位にまで上りつめた交響曲というジャンルが、ついにその王道への扉に手をかけた作品と言っても言い過ぎではないでしょう。
それは、第1楽章のソナタ形式の緻密さによくあらわれています。
単純明解な第1主題は4つの動機から構成されているのですが、その4つの動機が巧妙に活用されて音楽全体を形作っているのです。
それは、これに続くベートーベンほどに徹底した動機労作でないかもしれませんが、まさにその一歩手前まで歩を進めていることは明らかなのです。
恐いお題
ハイドンの交響曲というのは、どこかコケティッシュで可愛らしい面があります。それは、必ずしも初期の交響曲だけでなく、ザロモン・セットの中に数え入れられる交響曲の中にもあらわれます。
「驚愕」と題された94番の第2楽章や「時計」と題された101番の第2楽章などがその典型でしょうか。
さらに、「奇蹟」というあだ名がつくことになった96番などは、その名前の由来となったエピソードまでもが、ある種の可愛らしさに溢れています。
だから、ともすれば指揮者はその様な「可愛らしさ」に足下をすくわれてしまうことがあります。
逆に、「俺はそんなものには目もくれていない」と言わんばかりに力ずくで押さえ込んでしまったりもします。
しかし、それもまた一つの躓きです。
なぜならば、ハイドンの音楽をそのように力で押さえ込んでしまえば残るのは野暮だけと言うことになるからです。そして、ハイドンの交響曲を野暮だけで押し切ればそれはまるでベートーベンのように響いてしまうことになるのです、クレンペラーのように。
もちろん、それはそれで「立派」な音楽にはなるのですが、それでもどこかちょっと違うよねという気持ちは残ってしまいます。
それでは、足手まといにもならず、野暮にもならず、ハイドンがハイドンであるように響かせるにはどうすればよいのかと聞かれれば、それへの一つの模範解答がここにあります。
とりわけ、「時計」と題されたこの交響曲の由来となった第2楽章をマルケヴィッチの録音で聞くとき、そう言う可愛らしさに足下をとられることもなく、さりとてそう言う可愛らしさを力ずくで押さえ込む野暮に陥ることもなく音楽を成り立たせていることに気づかされます。
もっと正確に言えば、このマルケヴィッチのようなハイドンを聴かせてもらうことで、どれほど多くの指揮者達がそう言う「可愛らしさ」に硬軟両面から足下を絡め取られているかに気づかされるのです。
しかし、不思議なのは、マルケヴィッチという指揮者は、どう考えても19世紀以降の近代合理主義の権化のような男だと思うのですが、それがどうしてこういう音楽をやれたのかです。
「明治の野暮」が最後まで「江戸の粋」を理解できなかったように、「市民革命を経た19世紀のヨーロッパ」もまた「18世紀のハプスブルグの粋」を理解できなくなっていました。「フィデリオ」を書いたベートーベンは、モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」を不道徳なオペラとして最後まで認めようとしなかったのです。
にもかかわらず、このマルケヴィッチのハイドンは戦前のワルターのように18世紀に引っ張られてもいませんし、クレンペラーのように19世紀に軸足を置いているわけでもありません。
それは18世紀と19世紀という全く異なった価値観を持つ2つの時代が、ある意味で一つの奇蹟であるかのようなバランスの上に成り立っている音楽なのです。
そして、この強面のマルケヴィッチのどこを突っつけばそのようなバランスが出てくるのかが不思議でしようがないのです。
ただし、全く同じ時期に録音された102番の方ではそこまでうまくはいっていないように聞こえます。
やはり、ハイドンというのは指揮者にとっては恐い「お題」なのです。
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