クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番 ト長調 K.453

(P)アルトゥール・ルービンシュタイン アルフレッド・ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1961年3月30,31日 & 1962年6月6日録音



Mozart:Piano Concerto No.17 in G major, K.453 [1.Allegro]

Mozart:Piano Concerto No.17 in G major, K.453 [2.Andante]

Mozart:Piano Concerto No.17 in G major, K.453 [3.Allegretto]


ウィーン時代のピアノ協奏曲(20番以前)

モーツァルトのウィーン時代は大変な浮き沈みを経験します。そして、ピアノ協奏曲という彼にとっての最大の「売り」であるジャンルは、そのような浮き沈みを最も顕著に示すものとなりました。
この時代の作品をさらに細かく分けると3つのグループとそのどれにも属さない孤独な2作品に分けられるように見えます。
まず一つめは、モーツァルトがウィーンに出てきてすぐに計画した予約出版のために作曲された3作品です。番号でいうと11番から13番の協奏曲がそれに当たります。

第12番 K414:1782年秋に完成
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第11番 K413:1783年初めに完成
第13番 K415:1783年春に完成

このうち12番に関してはザルツブルグ時代に手がけられていたものだと考えられています。他の2作品はウィーンでの初仕事として取り組んだ予約出版のために一から作曲された作品だろうと考えられています。その証拠に彼は手紙の中で「予約出版のための作品がまだ2曲足りません」と書いているからです。そして「これらの協奏曲は難しすぎず易しすぎることもないちょうど中程度の」ものでないといけないとも書いています。それでいながら「もちろん、空虚なものに陥ることはありません。そこかしこに通人だけに満足してもらえる部分があります」とも述べています。
まさに、新天地でやる気満々のモーツァルトの姿が浮かび上がってきます。
しかし、残念ながらこの予約出版は大失敗に終わりモーツァルトには借金しか残しませんでした。しかし、出版では上手くいかなかったものの、これらの作品は演奏会では大喝采をあび、モーツァルトを一躍ウィーンの寵児へと引き上げていきます。83年3月23日に行われた皇帝臨席の演奏会では一晩で1600グルテンもの収入があったと伝えられています。500グルテンあればウィーンで普通に暮らしていけたといわれますから、それは出版の失敗を帳消しにしてあまりあるものでした。
こうして、ウィーンでの売れっ子ピアニストとしての生活が始まり、その需要に応えるために次々と協奏曲が作られ行きます。いわゆる売れっ子ピアニストであるモーツァルトのための作品群が次に来るグループです。

第14番 K449:1784年2月9日完成
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第15番 K450:1784年3月15日完成
第16番 K451:1784年3月22日完成
第17番 K453:1784年4月12日完成
第18番 K456:1784年9月30日完成
第19番 K459:1784年12月11日完成

1784年はモーツァルトの人気が絶頂にあった年で、予約演奏会の会員は174人に上り、大小取りまぜて様々な演奏会に引っ張りだこだった年となります。そして、そのような需要に応えるために次から次へとピアノ協奏曲が作曲されていきました。また、このような状況はモーツァルトの中にプロの音楽家としての意識が芽生えさせたようで、彼はこの年からしっかりと自作品目録をつけるようになりました。おかげで、これ以後の作品については完成した日付が確定できるようになりました。

なお、この6作品はモーツァルトが「大協奏曲」と名付けたために「六大協奏曲」と呼ばれることがあります。しかし、モーツァルト自身は第14番のコンチェルトとそれ以後の5作品とをはっきり区別をつけていました。それは、14番の協奏曲はバルバラという女性のために書かれたアマチュア向けの作品であるのに対して、それ以後の作品ははっきりとプロのため作品として書かれているからです。つまり、この14番も含めてそれ以前の作品にはアマとプロの境目が判然としないザルツブルグの社交界の雰囲気を前提としているのに対して、15番以降の作品はプロがその腕を披露し、その名人芸に拍手喝采するウィーンの社交界の雰囲気がはっきりと反映しているのです。ですから、15番以降の作品にはアマチュアの弾き手に対する配慮は姿を消します。
そうでありながら、これらの作品群に対する評価は高くありませんでした。実は、この後に来る作品群の評価があまりにも高いが故に、その陰に隠れてしまっているという側面もありますが、当時のウィーンの社交界の雰囲気に迎合しすぎた底の浅い作品という見方もされてきました。しかし、最近はそのような見方が19世紀のロマン派好みのバイアスがかかりすぎた見方だとして次第に是正がされてきているように見えます。オーケストラの響きが質量ともに拡張され、それを背景にピアノが華麗に明るく、また時には陰影に満ちた表情を見せる音楽は決して悪くはありません。

私はモーツアルトを本当に、本当に心から尊敬しています。


ルービンシュタインという人は膨大な量の録音を残し、そのレパートリーも広大なものでした。ところが、ルービンシュタインとモーツァルトという組み合わせは今ひとつピンと来ません。
あれほど膨大な録音を残したピアニストだったにもかかわらず、さて、ルービンシュタインにモーツァルトの録音ってあったっけ?・・・なんて思ってしまうほどです。

調べてみると、彼が残したモーツァルトのピアノ協奏曲はわずか5曲です。


  1. ピアノ協奏曲 第17番 ト長調 K.453 ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1962年録音

  2. ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466 ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1961年録音

  3. ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467 ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1961年録音

  4. ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488 ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1962年録音

  5. ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491 クリップス指揮 RCAビクター交響楽団 1958年録音



これは彼の録音歴を前提としてみれば際だって少ないと言わざるを得ませんし、何よりもこの一時期だけに集中しているというのが異常です。

しかし、調べてみると、これ以外にお蔵入りとなってしまった録音があることが分かりました。
DECCAの伝説的録音プロデューサーだったカルショーの自伝に記されている有名な話なので、ご存知の方も多いと思います。

お蔵入りとなった録音はルービンシュタイン73歳の時のものだと書かれているので、おそらくは1960年だろうと推測されます。
カルーショーの記述によると、ルービンシュタインは「自分が弾くピアノの音はくまなく聞き手の耳に届かなければいけない」と宣告したそうです。意味ありげな言葉なのですが、実際の演奏を聴けば吃驚仰天、何のことはない、彼は到底モーツァルトとは思えないような爆音でピアノを弾きはじめたのです。さらに怖いことに、長年のおつきあいだった指揮者のクリップスの方も、そう言うルービンシュタインのピアノの音を一切邪魔することなく控えめにオケをコントロールしたのです。
当時の録音は基本的にワンポイント録音に近いものですから、編集の過程でバランスを調整すると言うことは不可能です。

結果としてテープに録音された音は売り物にはならないとカルーショーは判断し、その判断を依頼主であるRCAにも伝えました。そして、RCAもまた長年にわたってルービンシュタインの爆音に悩まされてきたので、その申し出の意味するところをすぐに理解し、カルーショーの申し出を即座に受け入れました。
結果として、1960年に集中的に録音された17、20、23番は全て没となってしまい、その後も「何かの間違い」で表に出ると言うこともなく今も「幻の録音」のままです。

確かに、ルービンシュタインはクリップスとのコンビでは、ある意味ではクリップスの名人芸に甘えて、力の限りピアノを鳴らす傾向がありました。
例えば、1956年に集中的に録音されたベートーベンのピアノ協奏曲などでは、ルービンシュタインは好き勝手にピアノを鳴らし、それに対して指揮者のクリップスは奇蹟のバランスでフォローしていました。ルービンシュタインは自分の興が趣くままに好き勝手、自由に演奏していて、そう言うわがままなピアノに対して「これしかない」と言うほどの絶妙なバランス感覚でオケをコントロールしていたのがクリップスでした。

あの録音をはじめて聞いたときはルービンシュタインよりもクリップスの凄さを実感したものです。そして、そう言うクリップスの名人芸を「ベートーベンを演奏する指揮者としては凡庸の極み」と切って捨てた評論家のいい加減さに呆れ果てたものでした。

そんなルービンシュタインがはじめてモーツァルトのコンチェルトを録音したのが58年のニ短調コンチェルトでした。
「私にはベートーベンがソナタの1楽章全部を費やして語るよりも多くのことを、ほんの数小節でモーツアルトが表現してしまうように思えます。私はモーツアルトを本当に、本当に心から尊敬しています。」なんてな殊勝な事をルービンシュタインは語っていました。
つまりは、モーツァルトに対してはさすがのルービンシュタインも「構え」ていたのです。ですから、この58年に録音されたニ短調コンチェルトは、ルービンシュタインとは思えないほどに随分と控えめにピアノを鳴らしています。そして、相棒のクリップスの方も、いつものようにルービンシュタインのピアノの邪魔にならないようにコントロールするので、さらに控えめにオケを鳴らすという事態になっています。

聞けば分かるように、売り物にならないような酷いバランスにはならなかったのですが、ルービンシュタインの美質がほとんどスポイルされたような詰まらない演奏と録音になってしまっています。
おそらく、これではイカン!!と思ったのでしょう。

ルービンシュタインの魅力はピアニシモであってもピアノが完璧に鳴りきっているところにあります。
こんな恐る恐るの手探り状態の演奏では、いかにモーツァルトでもよろしくないのは明らかです。そして、この反省をもとに、おそらくは60年には「やってしまった」のでしょう。

ルービンシュタインはいつもルービンシュタインらしく、しかし、クリップスにしてみれば「もう付き合いきれない」となったのかもしれません。
ベートーベンやブラームスのコンチェルトならば音楽の形を崩さずにバランスをとることが可能であっても、それがモーツァルトとなると不可能です。そして、その結果が「没」という惨事をうむことになったのだろうと想像されます。

しかし、それでもルービンシュタインは諦めがつかなかったのでしょう。
レーベルにしてもルービンシュタインというビッグネームによるモーツァルトのコンチェルトはカタログに欲しかったはずです。

そこで、再度仕切り直しをしたのが、何でも言うことを聞きそうな「ウォーレンステイン」を起用しての61年から62年にかけての録音だったと想像されます。

おそらく、入念に打ち合わせを行ったものと思われます。
調べてみると録音プロデューサーは58年のハ短調コンチェルトを録音したときと同じ「Max Wilcox」なる人物です。
今度はルービンシュタインのピアノは十分に鳴りきっています。それに対するウォーレンステインのサポートもそれほど大きな破綻をきたすことなく上手くバランスをとっています。
「RCAビクター交響楽団」というのも怪しげな団体ですが、おそらくは録音の契約上の名前を出せないだけで、どこかのしっかりとしたオケであることは聞けばすぐに分かります。

こうして、60年には没となった17、20、23番に加えて21番の録音を完了して、ルービンシュタインの「モーツァルトの時」は終わりました。

この一連の録音では、いつものルービンシュタインらしくピアノは芯から鳴りきっています。結果として、ルービンシュタインの陽性の気質が表面にでて、光と影が交錯するモーツァルトではなく、終始明るい日の光に照らされているモーツァルトになっています。
当然の事ながら、そんなモーツァルトに違和感を感じる人もいるでしょうが、しかし、聞いてみればこれもまたモーツァルトであり、決して「壊れたモーツァルト」にはなっていません。

しかしながら、そう言うアプローチであるがゆえに、個人的には17番のコンチェルトが一番上手くいっているような気がします。
もちろん、そのあたりの判断はそれぞれの聞き手にゆだねますが、かなりユニークな部類に入るモーツァルトであることは間違いありません。

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