クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ブラームス:交響曲第1番

ムラヴィンスキー指揮 レニングラードフィル 1950年1月20日 レニングラードでのライブ録音





Brahms:交響曲第1番「第1楽章」

Brahms:交響曲第1番「第2楽章」

Brahms:交響曲第1番「第3楽章」

Brahms:交響曲第1番「第4楽章」


ベートーヴェンの影を乗り越えて

 ブラームスにとって交響曲を作曲するということは、ベートーヴェンの影を乗り越えることを意味していました。それだけに、この第1番の完成までには大変な時間を要しています。

 彼がこの作品に着手してから完成までに要した20年の歳月は、言葉を変えればベートーヴェンの影がいかに大きかったかを示しています。そうして完成したこの第1交響曲は、古典的なたたずまいをみせながら、その内容においては疑いもなく新しい時代の音楽となっています。


 この交響曲は、初演のときから第4楽章のテーマが、ベートーヴェンの第9と似通っていることが指摘されていました。それに対して、ブラームスは、「そんなことは、聞けば豚でも分かる!」と言って、きわめて不機嫌だったようです。

 確かにこの作品には色濃くベートーヴェンの姿が影を落としています。最終楽章の音楽の流れなんかも第9とそっくりです。姿・形も古典派の交響曲によく似ています。
 しかし、ここに聞ける音楽は疑いもなくロマン派の音楽そのものです。

 彼がここで問題にしているのは一人の人間です。人類や神のような大きな問題ではなく、個人に属するレベルでの人間の問題です。
 音楽はもはや神をたたるものでなく、人類の偉大さをたたえるものでもなく、一人の人間を見つめるものへと変化していった時代の交響曲です。

 しかし、この作品好き嫌いが多いようですね。
 嫌いだと言う人は、この異常に気合の入った、力みかえったような音楽が鬱陶しく感じるようです。
 好きだと言う人は、この同じ音楽に、青春と言うものがもつ、ある種思いつめたような緊張感に魅力を感じるようです。

 ユング君は、若いときは大好きでした。
 そして、もはや若いとはいえなくなった昨今は、正直言って少し鬱陶しく感じてきています。(^^;;
 かつて、吉田秀和氏が、力みかえった青春の澱のようなものを感じると書いていて、大変な反発を感じたものですが、最近はこの言葉に幾ばくかの共感を感じます。
 それだけ年をとったということでしょうか。

 なんだか、リトマス試験紙みたいな音楽です。

ムラヴィンスキーへの誤解


最近、ムラヴィンスキーについて大きな誤解をしてきたことに気づきました。お恥ずかしい話なのですが・・・
 ムラヴィンスキーというのは不思議な人で彼の演奏で聞くとどんな作品でも実に立派な音楽として聞こえてきます。特にチャイコフスキーとは相性がいいようで、彼の手にかかると「堂々たるシンフォニー」として鳴り響きます。
 一度そう言う演奏でチャイコフスキーを聞いてしまうと、よほどの演奏でない限り耳が受けつけなくなると言う、ある意味では実に困った人でもあります。(-_-;) (おいおい)

 そんなわけで、私は長年にわたって、ムラヴィンスキーという人は「主観的虚飾を排して、作品のあるがままの姿を客観的に呈示した人」だと思いこんでいました。その禁欲的とも言えるほどにムードや情緒を排した、実に立派な構築物としての音楽を聞かされれば当然です(と、開き直る)。

 しかし、長年つきあってくると、20世紀を席巻した、いわゆる「即物主義」的な演奏とは全く性格が違うことにイヤでも気づかされてきます。
 思いつくままにピックアップしても、ベートーベンの4番に6番、ブルックナーの9番、シベリウスの7番などなど、その演奏は完璧な「鬼のようなアンサンブル」という鋼鉄の甲冑を身にまとった演奏です。
 しかし、それは「客観的な演奏」の「客観性」が限度を超えて「異形の演奏」になっているのです。

 とにかく「情緒やムード」というものを虱潰しに徹底的に排除しています。
 チャイコフスキーのように「ムードと情緒」がもとから過多な作品だとこの方法論が中和作用を果たして実に上手くいくのですが、上記のように、もともと贅肉の少ない作品だと、皮膚の下から骨が浮き出して見えてきます。
 過度の情緒やムードを切り捨てていくのはかつての「ロマン主義的」な恣意的解釈への反発としておこった即物主義の特徴ではありますが、ムラヴィンスキーの演奏は、そう言う情緒やムードの切り捨てによって解釈の客観性を求めようとしているのではなく、そうすることがどうやら彼の「喜び」のようなのです。
 ムラヴィンスキーファンの人はこのような表現は好まないでしょうが、猟奇的というべきか、偏執的というべきか、まあその様な「熱意」をもって、情緒やムードを一つ一つ丹念につぶしています。
 つまり、レニングラードフィルという完璧なアンサンブルが隠れ蓑を役割を果たしているので気づきにくいのですが、ムラヴィンスキーの音楽解釈というのは「主観的虚飾を排した」ものどころか、徹頭徹尾、彼の「主観解釈」に貫かれたものなのです。

 そんなことをぼんやりと考えているときに、あるサイトで次のような表現に出会って、思わず「そうだったのか!」と膝を叩きました。
 実にうまいこと表現するものです。
 曰く、「主観的解釈の客観的表現がみせる至芸の極致」

 ユング君がかつて漠然と抱いていたムラヴィンスキーに対する考え、「主観的虚飾を排して、作品のあるがままの姿を客観的に呈示した人」はとんでもない勘違いと思い違いだったと言うことです。

 そう言うわけで(どう言うわけだ?・・・)ソノハナシハヽ(^_^;))=((^。^;)ノコッチニオイトイテ、ここで紹介しているブラームスの1番はけっこう貴重です。
 ムラヴィンスキーは2〜4番はけっこう録音を残しているのですが、1番に関しては何故か50年と49年の古いライブ録音しか残っていません。そのうちでも、この50年のライブ録音は古いわりには音質はけっこう優秀です。
 演奏の方も、ムラヴィンスキーらしい禁欲的なブラ1となっています。

追記(01/05/15)

「主観的解釈の客観的表現がみせる至芸の極致」のサイトを運営されている(^^)、あかばねさんより掲示板に書き込みがありました。

 「ところで、ムラヴィンスキーのブラームスの第1交響曲ですが、1950年1月20日のライヴとありましたが、確かにフォミーンの『評伝エフゲニー・ムラヴィンスキー』のディスコグラフィーにはそう書かれていますし、キングレコードから発売されていたCDにもそう書かれています。ところが、その後発売されたBMGの「ムラヴィンスキー・メロディア未発表録音録音vol.1」に掲載されている天羽健三氏ら編の最新ディスコグラフィーによると、この録音は1949年のスタジオ録音と同一音源であるとされています。

実際聴いてみますと、ライヴのノイズは聴かれませんし、それに2つの録音ともフィナーレのコーダが始まる15分くらいのところで金管が同じちょっとしたミス(?)をしているのです。ムラヴィンスキーのディスコグラフィーは必ずしも完全ではありませんから断言は出来ないのですが、ムラヴィンスキーの同一音源異録音日付というのは他にも結構ありますので、おそらく今回のブラームスについてはそう言えるのではないかと思います。」

 大変貴重な指摘で感謝、感謝です!
 となると、これはムラヴィンスキーが残した唯一のブラ1と言うことになりますね。貴重度がさらに増します!

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