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Home|ハスキル(Clara_Haskil)|モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 , K.271 「ジュノーム」

モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 , K.271 「ジュノーム」

(P)クララ・ハスキル:パブロ・カザルス指揮 カザルス祝祭管弦楽団 1953年6月19日録音



Mozart:Concerto No. 9 In E-Flat Major For Piano And Orchestra, K. 271 [1.Allegro]

Mozart:Concerto No. 9 In E-Flat Major For Piano And Orchestra, K. 271 [2.Andantino]

Mozart:Concerto No. 9 In E-Flat Major For Piano And Orchestra, K. 271 [3.Rondo: Presto]


ここでも一つの大きな飛躍と断絶が口を開いているように見えます

ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 , K.271 「ジュノーム」

21歳をむかえたモーツァルトは今までのピアノコンチェルトは全く相貌を異にした成熟した作品を生み出します。それが、今日「ジュノーム」という愛称で親しまれているK271のコンチェルトです。
この飛躍をもたらしたのは、この作品の愛称のもとになっているフランスの若き女性ピアニストであったジュノームとの出会いだと言われてきました。彼女は、この作品が生み出される前年にザルツブルグを訪れて何度か演奏会を行い、その演奏が若きモーツァルトに芸術的インスピレーションを与えてこの作品に結実した・・・と言うのです。

しかし、肝心のこのジュノームという人については、残念ながら詳しいことが分かっていませんでした。
現在のモーツァルト研究の大家たるザスローも次のように述べています。

彼女は偉大なピアニストだったのだろうか?
若くて美くしかったのだろうか?
彼女については何も分かっていない。

結構筆まめでたくさんの手紙を残しているモーツァルトですが、このジュノームに関してはほとんど詳しいことはふれられていません。彼がふれているのは、ミュンヘンでの演奏会でこの作品を演奏したことを父親に告げる手紙で「ジュノミ用」と書いていることと、パリでの滞在時で彼女と再び会ったことをほのめかしていることだけです。そして、重要なことは彼は一度も「ジュノム嬢 Mademoiselle Jeunehomme」とは表現していないことです。

さらに言えば、この作品に「ジュノーム」という愛称をつけたのは第3版のケッヘル番号の改訂を行ったアインシュタインであり、第2版までのケッヘル番号まではその様な愛称がなかったことも知られています。そして、全く自明のことであるかのように「ジュノーム協奏曲」という愛称をつけたアインシュタインなのですが、いったい何を根拠にしてその様なネーミングをしたのかは彼自身全くふれていません。

つまりは、突然のようにアインシュタインによってこのK271の協奏曲は「ジュノーム協奏曲」という名前をつけられたのですが、モーツァルト研究の権威というか、神様のような存在であるアインシュタインが「ジュノーム協奏曲」と名付けたのならば、いったい誰がその事に異を唱えることが出来るでしょうか。結果として、それ以後のケッヘル番号の編集作業ではこのネーミングは疑問の余地のないものとして受け継がれ、今日ではすっかり「ジュノーム協奏曲」という愛称は定着してしまいました。

しかし、それでは、かんじんのジュノームとは何ものなのか?
それが全く持って分からなかったわけです。
ところが、この謎についに終止符がうたれるときがきました。
その第一報はニューヨーク・タイムスの記事で
「A Mozart mystery has been solved at last.」
と報じられました。

この根拠となったのはローレンツという研究者がウィーンの古文書館を調査して発見した事実でした。ただし、この記事はあまり詳しいものでなく、その後ローレンツ自身の発表によって詳細が明らかにされるのですが、その発表までにローレンツのもとには詳細を尋ねるメールが山のように舞い込んだそうです。

彼が古文書館での調査で明らかにした事実は以下の通りです。
まずは、長年「ジュノーム嬢」とされてきた女性は「パリの有名な舞踏家でモーツァルトの親友の一人だったジャン・ジョルジュ・ノヴェールの娘の ヴィクトワール・ジュナミー Victoire Jenamy であった」ということです。そして、ヴィクトワールがなかなかの技量を持ったピアニストだったことも、当時の演奏会評などから明らかになりました。美しかったかどうかは分かりませんが、なかなかのピアニストだったことだけは確かだったようです。
このノヴェールとはその後深いつきあいになり、パリ旅行の時は彼の力を借りてフランス風の大規模オペラの注文をとろうとしています。そして、彼のために「レ・プチ・リアンのためのバレエ音楽」も書いています。
ただし、この作曲に対しては謝礼が支払われることはなかったようで、父親宛の手紙の中で「あらかじめ謝礼がどのぐらい支払われるのか分からないときは、絶対に何も書かないつもりです。今回のは、まったくもってノヴェールへの友情の結果にほかなりません。」などと書いています。

最後に蛇足になりますが、最終楽章にフランス風の宮廷舞踏の音楽が挿入されるのは、ジュノム嬢の祖国フランスをほのめかすウィットだと言われてきましたが、どうやらモーツァルトがそこでほのめかしたのはジュナミ嬢の父親だったようです。

ザルツブルグ時代のピアノコンチェルト


モーツァルトはその生涯において27曲のピアノ協奏曲を遺したといわれています。しかし、詳しくふり返ってみると事はそれほど単純ではありません。

まず、一般に27曲といわれるピアノ協奏曲を大きく区切ってみると3つのグループに分かれることは誰の目にも明らかです。
一つは少年時代の習作に属するグループで、番号でいえば1~4番の協奏曲がこのグループに属します。
次は、ザルツブルグの協定に宮仕えをしていた1773年から1779年に至るいわゆるザルツブルグ時代の作品です。番号でいえば5,6,8,9番の4作品と、3台、2台のピアノのための協奏曲と題された7番、10番の2作品です。
そして、最後は1781年にザルツブルグの大司教コロレドと決定的な衝突をしてウィーンに出てきてからの作品です。番号でいえば11番から27番に至る17作品となります。

これで、何の問題もないように見えます。
発展途上の形式だった交響曲のように、ディヴェルティメントに数えるのか交響曲に数えるのかと悩む必要はありません。

しかし、一つひっかかるのがケッヘル番号でいうと107番が割り当てられている「クリスティアン・バッハのソナタにもとづく3つの協奏曲」をどのように考えるかです。これは、その名前が示すようにクリスティアン・バッハのチェンバロソナタをそのまま協奏曲に編曲したものです。もし、この作品も「モーツァルトの協奏曲」として数えるならば、少年時代の習作は4ではなくて7となり、モーツァルトのピアノ協奏曲は全部で30となるわけです。
しかし、旧全集ではこの3作品は基本的には「他人の作品」と判定をして「モーツァルトのピアノ協奏曲」からは除外をして、それ以外の作品に1番から27番までの番号を割り振ったわけです。
ところが、20世紀の初頭になって、少年時代の習作として1番から4番までの番号が割り当てられていた作品(K37~K41)も、実はK107の作品と同じく、他人のチェンバロソナタを下敷きにして編曲したものであることが判明したのです。

おそらく、それらの作品は父であるレオポルドが10歳のモーツァルトに与えた課題であっただろうと思われます。レオポルドは、当時流行していた「ヘルマン・フリードリヒ・ラウパッハ」や「ヨハン・ショーベル」「ヨハン・ゴットフリート・エッカルト」「レオンツィ・ホナウアー」「エマヌエル・バッハ」などの鍵盤ソナタの楽章を素材として、それらを協奏曲の形式に書き換えることをモーツァルトに命じたのでしょう。そして、このような課題を通して10歳のモーツァルトはソナタとコンチェルトのジャンルの違いを学び取り、それが彼の最初のオリジナルとなる奇蹟のような第5番の(K175)を生み出す準備となったのです。

しかしながら、こうなると1~4番品(K37~K41)の作品とK107の3作品を区別する必然性はなくなってしまいました。

この不整合を解決するためには道は二つしかありません。一つはK107の3作品も「モーツァルトの協奏曲」として数え入れるのか、逆に1~4番の作品を「モーツァルトの協奏曲」から除外してしまうかです。
この問題に最終的な決定が下ったのは、1956年から着手された新全集の刊行においてでした。
そこでは、最終的に1~4番の作品を「モーツァルトの協奏曲」から除外するというストイックな方向性が採用されました。しかし、旧全集によって割り振られた番号はすでに広く世間に定着していますから、ナンバーリングを繰り上げるということはしませんでした。これは賢明な判断だったと思われます。
シューベルトの場合はこのナンバーリングの繰り上げを実施したために(7番が削除されて、9番「グレイト」が8番に、8番「未完成」が7番に繰り上げられた)未だに混乱が続いています。

こうして、現在では少年時代の習作は「モーツァルトの協奏曲」からは除外され、彼のザルツブルグ時代のピアノ協奏曲は6作品となったのです。

  1. 第5番 K.175:1773年12月完成

  2. 第6番 K.238:1776年1月完成

  3. 第7番 K.242:1776年2月完成(3台のピアノのための作品)

  4. 第8番 K.246:1776年4月完成

  5. 第9番 K.271:1777年1月完成

  6. 第10番 K.365:1775年~1777年に完成(2台のピアノのための作品)



第5番(K.175)の協奏曲がモーツァルトにとっては初めての完全にオリジナルな作品だといえます。
彼はこの作品に強い愛着があったようで、ウィーン時代においても何度も演奏会で取り上げ、そのたびにオーケストレーションや楽器の編成などにも手を加えています。今では、K.382のコンサート・ロンドとして知られている作品は、ウィーンにおける演奏会でこの作品の第3楽章として作曲されたものです。
ですから、K.175を第2楽章まできいた後に、それに続けてK382をきけばウィーンでの演奏会を再現できるというわけです。

そして、この後にしばらくの沈黙があって1776年から立て続けに5作品が作られています。おそらくは、姉のナンネルの演奏会か、もしくは自分の演奏会のために作曲されたものと思われます。
ですから、この作品には当時のザルツブルグの社交界の雰囲気が反映していると思われます。

また、第8番とナンバリングされているK.246のハ長調のコンチェルトには「リュッツォウ」という愛称がついています。
リュッツォウとは、ザルツブルグ要塞の司令官を勤めていた貴族の名前で、この作品はその妻のために注文された作品なのでこのニックネームがついています。

モーツァルトのピアノコンチェルトの中では最も易しい部類に属する作品のようで、ウィーンに出てからも弟子の教材としてよく使っていたそうです。

しかし、第9番(K.271)の「ジュノーム」だけはひときわ異彩をはなっています。
ふつうはオーケストラの前奏の後にピアノが登場するのが古典派の常識であるのに、ここでは冒頭からいきなりピアノソロが登場します。また、ハ短調で書かれた第2楽章の陰りを帯びた表情は社交音楽の枠を超えています。
K.466のニ短調コンチェルトほどではないにしても、ここでも一つの大きな飛躍と断絶が口を開いているように見えます。

しかし、この後にモーツァルトはザルツブルグの宮廷と決定的な衝突を引き起こし、一人の自立した芸術家としてウィーンでの生活を始めます。
そこでは、売れなければ生きていけないわけですから、一瞬姿を現した断絶は閉じてしまいます。


プラド音楽祭でのカザルスとの共演

カザルスとハスキルの共演としては随分昔にバッハのチェンバロ協奏曲 第5番 ヘ短調, BWV 1056を取り上げていました。あれは、しみじみと「いいなぁー・・・。」と思わされる演奏であり、とりわけ第2楽章などは「ハスキルのピアノには詩がある」という言葉を思い出させてくれます。
生来病弱だったハスキルは力ずくで作品と対峙すると言うことは基本的に無理だったので、出来る限り余分な力を抜いて作品の本質に迫るというスタイルを貫いていました。
おそらく、あのバッハ演奏はそう言うハスキルのスタイルにカザルスが限りなく寄り添ったものでした。

ところが、このモーツァルトの「ジュノーム」では雰囲気がガラリと変わります。
まず出始めのオケはすでに気合い100%の勢いでスタートするのですが、おそらくこれがカザルスの基本的なスタンスでしょう。おそらく、ハスキルの体調も良く、演奏活動も順調に重ねてきた頃だったので、それならば本気で勝負しようという感じが伝わってきます。

おそらく、その気合いはリハーサルの時にはなかったものかと推察されますから、ハスキルも最初は驚いたことでしょう。
しかし、すぐにハスキルもまたその気合いに引きずられるように熱気に溢れたピアノで応えています。

しかし、ピアノのソロの部分などに来ると、カザルスに対して「もう少し穏やかにいきませんか」みたいな投げかけをしているように聞こえます。でも、カザルスは止まりませんね。(^^;
こういう演奏を聞いていると、まるで異種格闘技のようなのですが、おそらくはこれもまた協奏曲を聞く醍醐味でもあります。

しかし、第2楽章のアンダンティーノにはいるとさすがにオケは前のめりに突撃することはなくなるので、そこではハスキルの詩的なピアノの響きが浮き上がってきます。そして、やがてカザルスもそのはスキルのピアノに寄り添っていくようになっていくのですが、そのあたりがライブ演奏の面白さなのでしょう。

そして、フィナーレに向けてしだいに両者の息が合っていきます。
このプレストの軽やかな音楽をこの上もなく絶妙な表情をつけて演奏しています。そして、カザルスもまた思い出したように最初の熱気を取り戻していきます。おそらく、それがカザルスにとってのモーツァルトだったのでしょうね。

おそらく、これほど熱気に溢れた「ジュノーム」はそうそう聞けるものではないでしょう。そう言う意味で、これはこの上もなく貴重なライブ録音だと言えます。

この演奏を評価してください。

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