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Home|スタインバーグ(William Steinberg)|ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」

ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」

ウィリアム・スタインバーグ指揮 ピッツバーグ交響楽団 1965年6月7~9日録音



Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastoral" [1.Allegro Ma Non Troppo (Apacibles Sentimientos Que Despierta La Contemplacion De Los Campos)]

Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastoral" [2.Andante Molto Moto (Escena Junto Al Arroyo)]

Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastoral" [3.Allegro (Animada Reunion De Campesinos) ]

Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastoral" [4.Allegro (La Tormenta, La Tempestad) ]

Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastoral" [5.Allegretto (Cancion Pastoril, Gratitud Y Reconocimiento Despues De La Tormenta)]


標題付きの交響曲

よく知られているように、この作品にはベートーベン自身による標題がつけられています。

  1. 第1楽章:「田園に到着したときの朗らかな感情の目覚め」

  2. 第2楽章:「小川のほとりの情景」

  3. 第3楽章:「農民の楽しい集い」

  4. 第4楽章:「雷雨、雨」

  5. 第5楽章:「牧人の歌、嵐のあとの喜ばしい感謝の感情」


また、第3楽章以降は切れ目なしに演奏されるのも今までない趣向です。
これらの特徴は、このあとのロマン派の時代に引き継がれ大きな影響を与えることになります。

しかし、世間にはベートーベンの音楽をこのような標題で理解するのが我慢できない人が多くて、「そのような標題にとらわれることなく純粋に絶対的な音楽として理解するべきだ!」と宣っています。
このような人は何の論証も抜きに標題音楽は絶対音楽に劣る存在と思っているらしくて、偉大にして神聖なるベートーベンの音楽がレベルの低い「標題音楽」として理解されることが我慢できないようです。ご苦労さんな事です。

しかし、そういう頭でっかちな聴き方をしない普通の聞き手なら、ベートーベンが与えた標題が音楽の雰囲気を実にうまく表現していることに気づくはずです。
前作の5番で人間の内面的世界の劇的な葛藤を描いたベートーベンは、自然という外的世界を描いても一流であったと言うことです。同時期に全く正反対と思えるような作品を創作したのがベートーベンの特長であることはよく知られていますが、ここでもその特徴が発揮されたと言うことでしょう。

またあまり知られていないことですが、残されたスケッチから最終楽章に合唱を導入しようとしたことが指摘されています。
もしそれが実現していたならば、第五の「運命」との対比はよりはっきりした物になったでしょうし、年末がくれば第九ばかり聞かされると言う「苦行(^^;」を味わうこともなかったでしょう。
ちょっと残念なことです。


聞いてみる価値は十分にある

スタインバーグは手兵のピッツバーグ交響楽団をともに1962年から1966年にかけてベートーベンの交響曲の全曲録音を行っています。
さて問題は、その録音を聞いてみたいかどうかです。

50年代から60年代はクラシック音楽にとっては輝ける黄金の時代であり、多くの指揮者とオーケストラによって数多くのベートーベンの交響曲全集が録音されました。そう言う宝の山に埋もれている状態で、いわゆる職人肌による指揮者がピッチバーグというアメリカの地方オケを振って録音したベートーベンの9曲を時間をかけて聞いてみたいかということです。
率直にって、それほど簡単に「Yes」とは言いにくいのではないでしょうか。実際私も最初はそうでした。

そして、その証拠に、この録音はデジタルの時代に入ってもCDで復刻されることはなく、聞こうと思えば中古レコードを探すしかない状態が続きました。
ところが人間というのは不思議なもので、聞こうと思ってもなかなか聞くことができない状態で、何らかの僥倖に恵まれてそれを聞くことが出来た人はその録音と演奏を持ち上げたくなります。気がつくと、あちこちでこのスタインバー&ピッツバーグ響によるベートーベン演奏を「幻の名演」という人があらわれてきます。

ただし、その真偽を確かめることはほとんどの人にとっては不可能なのですから、いつの間にかそう言う評価がじわりじわりと広がりはじめます。そして、隣接権が消滅すると得体の知れないレーベルが板おこしと思われるやり方で復刻盤CDをリリースします。
聞くところによると、このレーベルは最初は国外では販売しないと言っていたようなのですが、やがてどういうルートを使ったのかは分かりませんが、少しずつ日本国内でも入手が可能になりました。そして、その噂の「幻の名盤」をその復刻盤CDで聞いた人たちは唖然とします。ただし、その「唖然」は演奏の巣らしさゆえに「唖然」としたのではなく、その復刻盤CDの音質が「唖然」とするほどの劣悪だったのです。

その悪さたるや、人によれば50年代初頭のフルトヴェングラーの音源よりも劣悪だと言うことでした。
しかしながら、「Command Classics」というマイナーレーベルでの録音とはいえ、60年代中頃のスタジオ録音がそこまで劣悪なことは考えられません。となると、その板おこしで復刻をしたレーベルはかなりいい加減なと言うよりは、犯罪的とも言えるやり方で復刻をしたと言うことになります。

しかしながら、最近になって遂にドイツ・グラモフォンが正式に復刻盤をリリースしたことで、漸くにして多くの人にその全貌が明らかになる時が来ました。
それでも、一部の「幻の名盤」という評価を聞きながらも、それでも残り少ない人生の中でこの組み合わせでベートーベンの9曲を聴く価値はあるのだろうかという懸念は消えません。

と言うことで、前置きが少し長くなってしまったのですが、そう言う懸念を振り払って9曲を聴き通した感想は、「幻の名盤」と言う評価は「聞きたくても聞けないのに聞けちゃった」というバイアスがかかった評価であったと言うことは間違いないと言うことです。しかし、残された人生において、このスタインバーグによるステレオ録音のベートーベンは聞いてみる価値は十分にあると言うこともまた間違いないようです。

まずは一通り聞いてみて感じたことを簡単に記しておきます。
第1番の交響曲はその弾むようなリズム感と爽快な推進力は若きベートーベンのファースト・シンフォニーとしては最高の演奏の一つと言えます。この第1番の交響曲はどうしても軽く見られがちなだけにこれは貴重な演奏と録音だと言えます。続く第2番も同じようなコンセプトで貫かれているのですが、この作品の聞かせどころとも言うべき「Larghetto楽章」がいささかあっさりしすぎている感じがします。
このラルゲット楽章の美しいロマン性は第1番の交響曲では聞くことが出来なかったものですし、そこには「歌う」事への試行錯誤が結実していると思われるだけに、ここまで意図的に素っ気なく演奏することはないのではないかとは思ってしまいました。

ただし、第4番の「Adagio楽章」もどちらかと言えば素っ気ない感じなので、そのあたりはスタインバーグの姿勢なのかもしれません。
しかし、第4番では長い序奏の後に第1主題が表れてくるところで思いっきり「タメ」を作って見得を切ったりしているのですから、そのあたりがただの「職人肌」とは言いきれないスタインバーグの複雑さが表れています。そして、第3楽書から第4楽章にかけてはあ青の第1番で見せた推進力とリズムが炸裂して、何処かカルロス・クライバーの姿を思い出してしまう自分がいました。

それからもう一つ面白いのは、突然テンポ設定が変わってしまう場面があることです。
例えば、第6番「田園」では嵐がやってくる前の場面で急激にテンポが速くなって緊張感を高めるのですが、いささかあざといという感じがしないでもありません。

それから、第7番の交響曲では最初の2楽章はやや遅めのテンポ設定で演奏して、第2楽章の「Allegretto」では2番や4番の緩徐楽章とは対照的なほどに入念に歌っています。どうも、このあたりがスタインバーグという男のつかみ所のなさです。そして、第3楽章からは途端にテンポを上げるのでそのつながり具合にいささか違和感を感じるのですが、そのテンポのまま最終楽章になだれ込むとその強い推進力ゆえに、「まあ、これでいいのだ」と思わせられてしまうのです。

それからもう一つ気づいたのは、第8番におけるオケの響きです。
後期の作品でありながら小ぶりなこの交響曲は下手をすると初期のシンフォニーのように聞こえてしまうのですが、スタインバーグはここでは明らかに低声部を分厚めにならしてどっしりとした雰囲気を醸し出しています。そう言えば、「田園」の第1楽章でも結構低声部を厚めに成らしているので、そのあたりのオケの響きにも彼なりのポリシーが貫かれていたのかもしれません。

つまりは、一見するとスタインバーグのベートーベンというのは職人肌の指揮者がキッチリと仕上げただけの演奏のように見えるのですが、じっくりと聞いてみるといろいろと屈折した部分があちこちにに顔を出すのです。
ただし、私の効き方が悪いのだと思うのですが「エロイカ」や「運命」のような大物ではあまり無茶なことはしないでキッチリと仕上げているように思われます。悪い演奏ではないのですが、数多の名演がひしめくこの作品の録音の中ではいささか自己主張が乏しいかもしれません。

しかしながら、スタインバーグの全集の中で一番注目すべきは最後の第9番でしょう。
何故ならば、そこでスタインバーグは一般的に「マーラー版」と呼ばれるものを使っているからです。

ただし、このマーラー版というのはマーラーが実際に演奏したときに楽譜に追加したり書き直したりしたもので、シューベルトの「死と乙女」を弦楽合奏版にしたように新たにスコアにしたものではないようです。そして、マーラーは演奏のたびにスコアに手を加えるのを常にしていましたから、ベートーベンの第9にしても定まった「マーラー版」があるわけではないようです。

ですから、スタインバーグが「マーラー版」と記しているのは、おそらくはマーラーがニューヨークフィル時代に、そのライブラリに書き込んだものを参考にしたものだと思われます。
ところが、この「マーラー版」による第9なのですが、実際に聞いてみると何処がどのように改変されているのかほとんど分かりません。どちらかと言えば、上で述べたような他の交響曲の独特な解釈の部分の方が印象的です。

ただし、最終楽章にはいると急に低声部が分厚くなって響きが太くなるのが印象的ですし、第2楽章のホルンのソロの部分からの音楽の運びが印象的なので、そのあたりに何らかのマーラーの手が入っているのかなと憶測する程度です。
ですから、スタインバーグはこの全集を完成させる上で、何故に、この第9番だけにその様なエディションを使ったのかの方が興味があります。
それはもしかしたら、職人肌で、手堅く作品をまとめるだけという印象をこのベートーベンの交響曲全集で払拭したかったのかもしれません。確かに、この全集を聞いてみれば、彼がただの職人肌だけの指揮者でないことはよく分かります。しかし、一部で囁かれるような「幻の名盤」はさすがに言いすぎのようです。
とは言え、この時代に数多くの優れたベートーベン演奏が生み出されたのですが、その中にあってもそれなりに聞く価値は十分にある録音であることは間違いようです。

なお、その後あれこれ調べてみると、第九のマーラー版の最大の特徴はスコアの細かい改変ではなくて、2管編成で書かれていたオリジナル編成を倍管にし、ティンパニを2人に増強し、さらに原曲に用いられていないテューバを加えるという「巨大化」を目指すことが目玉だった事が分かりました。
つまりは、その編成の巨大化を最大に活用することによって、ベートーベンの本質の一つである「デュナーミクの拡大」をより一層「壮絶」なものにしたかったようなのです。
私が第2楽章のホルンソロからの音楽運びに通常にはない美しさを感じたのはその成果だったようです。最終楽章に感じた分厚さもオケの巨大化によるものかもしれません。その証拠に、楽章の始めの部分ではオケと合唱・ソリストのバランスがあまり良くないのですが、次第にそのバランスが整っていくのがよく分かります。
そのあたり、録音エンジニアも苦労したようです。

とは言え、そういうマーラーの意図は、プリアンプのボリュームでいくらでも音量が調整できる録音ではなかなか実感するのは難しいかもしれません。

この演奏を評価してください。

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