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Home|フリッチャイ(Ferenc Fricsay)|シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759

シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759

フリッチャイ指揮 ベルリン放送交響楽団 1957年9月18日&19日録音

Schubert:Symphony No.8 in B minor D.759 "Unfinished" [1.Allegro moderato]

Schubert:Symphony No.8 in B minor D759 "Unfinished" [2.Andante con moto]


わが恋の終わらざるがごとく・・・

この作品は1822年10月30日に作曲が開始されたと言われています。しかし、それはオーケストラの総譜として書き始めた時期であって、スケッチなどを辿ればシューベルトがこの作品に取り組みはじめたのはさらに遡ることが出来ると思われています。
そして、この作品は長きにわたって「未完成」のままに忘れ去られていたことでも有名なのですが、その事情に関してな一般的には以下のように考えられています。

1822年に書き始めた新しい交響曲は第1楽章と第2楽章、そして第3楽章は20小説まで書いた時点で放置されてしまいます。
シューベルトがその放置した交響曲を思い出したのは、グラーツの「シュタインエルマルク音楽協会」の名誉会員として迎え入れられることが決まり、その返礼としてこの未完の交響曲を完成させて送ることに決めたからです。

そして、シューベルトはこの音楽協会との間を取り持ってくれた友人(アンゼルム・ヒュッテンブレンナー)あてに、取りあえず完成している自筆譜を送付します。しかし、送られた友人は残りの2楽章の自筆譜が届くのを待つ事に決めて、その送られた自筆譜を手元に留め置くことにしたのですが、結果として残りの2楽章は届かなかったので、最初に送られた自筆譜もそのまま忘れ去られてしまうことになった、と言われています。

ただし、この友人が送られた自筆譜をそのまま手元に置いてしまったことに関しては「忘れてしまった」という公式見解以外にも、借金のカタとして留め置いたなど、様々な説が唱えられているようです。
しかし、それ以上に多くの人の興味をかき立ててきたのは、これほど素晴らしい叙情性にあふれた音楽を、どうしてシューベルトは未完成のままに放置したのかという謎です。

有名なのは映画「未完成交響楽」のキャッチコピー、「わが恋の終わらざるがごとく、この曲もまた終わらざるべし」という、シューベルトの失恋に結びつける説です。
もちろんこれは全くの作り話ですが、こんな話を作り上げてみたくなるほどにロマンティックで謎に満ちた作品です。

また、別の説として前半の2楽章があまりにも素晴らしく、さすがのシューベルトも残りの2楽章を書き得なかったと言う説もよく言われてきました。
しかし、シューベルトに匹敵する才能があって、それでそのように主張するなら分かるのですが、凡人がそんなことを勝手に言っていいのだろうかと言う「躊躇い」を感じる説ではあります。

ただし、シューベルトの研究が進んできて、彼の創作の軌跡がはっきりしてくるにつれて、1818年以降になると、彼が未完成のままに放り出す作品が増えてくることが分かってきました。
そう言うシューベルトの創作の流れを踏まえてみれば、これほど素晴らしい2つの楽章であっても、それが未完成のまま放置されるというのは決して珍しい話ではないのです。

そこには、アマチュアの作曲家からプロの作曲家へと、意識においてもスキルにおいても急激に成長をしていく苦悩と気負いがあったと思われます。
そして、この時期に彼が目指していたのは明らかにベートーベンを強く意識した「交響曲への道」であり、それを踏まえればこの2つの楽章はそう言う枠に入りきらないことは明らかだったのです。

ですから、取りあえず書き始めてみたものの、それはこの上もなく歌謡性にあふれた「シューベルト的」な音楽となっていて、それ故に自らが目指す音楽とは乖離していることが明らかとなり、結果として「興味」を失ったんだろうという、それこそ色気も素っ気もない説が意外と真実に近いのではないかと思われます。

この時期の交響曲はシューベルトの主観においては、全て習作の域を出るものではありませんでした。
彼にとっての第1番の交響曲は、現在第8(9)番と呼ばれる「ザ・グレイト」であったことは事実です。

その事を考えると、未完成と呼ばれるこの交響曲は、2楽章まで書いては見たものの、自分自身が考える交響曲のスタイルから言ってあまり上手くいったとは言えず、結果、続きを書いていく興味を失ったんだろうという説にはかなり納得がいきます。

ちなみに、この忘れ去られた2楽章が復活するのは、シューベルトがこの交響曲を書き始めてから43年後の1865年の事でした。ウィーンの指揮者ヨハン・ヘルベックによってこの忘れ去られていた自筆譜が発見され、彼の指揮によって歴史的な初演が行われました。
ただ、本人が興味を失った作品でも、後世の人間にとってはかけがえのない宝物となるあたりがシューベルトの凄さではあります。
一般的には、本人は自信満々の作品であっても、そのほとんどが歴史の藻屑と消えていく過酷な現実と照らし合わせると、いつの時代も神は不公平なものだと再確認させてくれる事実ではあります。


  1. 第1楽章:アレグロ・モデラート
    冒頭8小節の低弦による主題が作品全体を支配してます。この最初の2小節のモティーフがこの楽章の主題に含まれますし、第2楽章の主題でも姿を荒らします。
    ですから、これに続く第2楽章はこの題意楽章の強大化と思うほど雰囲気が似通ってくることになります。また、この交響曲では珍しくトロンボーンが使われているのですが、その事によってここぞという場面での響きに重さが生み出されているのも特徴です。

  2. 第2楽章:アンダンテ・コン・モート
    クラリネットからオーベエへと引き継がれていく第2主題の美しさは見事です。
    とりわけ、クラリネットのソロが始まると絶妙な転調が繰り返すことによって何とも言えない中間色の世界を描き出しながら、それがオーボエに移るとピタリと安定することによって聞き手に大きな安心感を与えるやり方は見事としか言いようがありません。




「悲しみ」への共振

帝王と言われたカラヤンにとって、発売されたレコードやCDがクラシック音楽の中でトップセールスを記録するのは「自明」のことでした。ところが、これもまたよく知られた話ですが、シューベルトだけは売り上げが芳しくなくて帝王も苦笑いをしていたそうです。
しかし、このエピソードは色々なことを考えさせてくれます。

こうしてフリッチャイとカラヤンの「未完成」を聞いていると、カラヤンが「帝王」と呼ばれるほどの大成功を収めたがゆえに欠落してしまったものがあったことに気づかされます。
こんな事を書くと、必ずカラヤンファンの方からお叱りのメールをいただくのですが(そう、カラヤンについて少しでも否定的に響くような事を書くと必ずメールが来るのです。恐るべし、帝王カラヤン!!)、この録音を聞く限りは、「帝王カラヤン」にはシューベルトの音楽に必要な「悲しみ」に共振できる感性が希薄だったことに気づかされます。
そして、その事を裏返せば、シューベルトの音楽というものが同時代の音楽の中においてみれば、いかに異形な存在であったかを教えてくれます。

世間一般の人にとってのシューベルトと言えば、野バラや子守歌などに代表されるようなかわいくて優しい歌曲をたくさん書いた人、という印象があります。
しかし、ある程度クラシック音楽を聴いてきて、そしていろいろなジャンルのシューベルトの音楽を聴いてきた人ならば、そんな世間的なコンセンサスには苦笑いするはずです。

確かにシューベルトは偉大なメロディーメーカーです。
一聴すればその美しいメロディに心奪われるのですが、その美しい道を歩んでいると突然異形の魔物と出会ってしまうような場面が至るところに存在するのがシューベルトなのです。特に後期のピアノソナタなどでは顕著です。

聞くものは一瞬ギョッとさせられるのですが、それもまた一瞬のことであって、再び目の前には美しい風景が何事もなかったかのように展開するのです。しかし、一度魔物にであってしまった者にとっては、その美しく見える風景はもはや最初の風景とは同一のものではあり得ないのです。
そして、シューベルトという人の本質は表面的な美しさの中ではなくて、明らかにこの魔物の中にこそある事を否応なく納得させられるのです。

クラシック音楽の作曲家というのは人格破綻者の群れです。
それ故に、結果として惨めな人生に落ち込んでいった人は少なくないのですが、その惨めさの程度においてシューベルトを凌ぐ人はなかなか思いつくことが出来ません。
シューベルトこそは、人生というものが用意するありとあらゆる惨めさと絶望を舐めつくした人でした。
そして、それを舐めつくした上で、それでもなおプロの作曲家として自立する道を諦めることなく足を前に進めた人でした。

カラヤンはこの64年盤以外には55年盤(フィルハーモニア管)と75年盤があります。
55年と言えばカラヤンの帝王伝説が始まる頃であり、65年と75年はまさにその絶頂期の録音でした。

音楽家の私生活と芸術を短絡的に結びつけるのは戒めなければなりませんが、それでもなお、この時期のカラヤンにとってはもっとも扱いにくい音楽であったことは間違いないはずです。つまりは、絶頂期におけるカラヤンにとってはもっとも共感しにくい類の音楽だったはずです。

ですから、出来得れば、彼がベルリンフィルと喧嘩別れし、おそらくは彼の人生において初めての深刻な挫折を経験した後にこの作品を録音して欲しかったという思いはあります。
実際、彼はその最晩年においてこの「未完成」を頻繁に取り上げています。特に83年以降は頻繁に取り上げていて(83年:ジルベスター・86年:フルトヴェングラー生誕100周年記念演奏会・87年:ザルツブルグ音楽祭)、その幾つかは海賊版の「CD-R」として流通もしているそうです。私はそれらを実際には聞いたことがないので無責任な発言にはなるのですが、60年代、70年代とは随分と異なった音楽になっているのではないかと思います。

それと比べると、フリッチャイの「未完成」は素晴らしいです。
この演奏に言葉は不要でしょう。
ただ一言、そこにはシューベルトの「悲しみ」が結晶化しています。それこそがシューベルトの音楽にとって必要不可欠のものです。

この演奏を評価してください。

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