クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~



Home| 作曲家で選ぶ | MOZART

MOZART

<オーストリア:1756〜1791>

経歴


1756年1月27日、ザルツブルグの宮廷音楽家の家に生まれる。父レオポルドは、3歳で三度の和音に聞き入る我が子の姿に音楽的才能を確信し、4歳から音楽を教えはじめる。また、5歳から作曲を試みはじめる。
 幼いモーツァルトの神童ぶりを広く世間に知らせるために、レオポルドは数度にわたって大がかりな演奏旅行を企てる。その地域はオーストリア国内に限らず、フランス、イタリア、イギリスとヨーロッパ全域に及び、結果として多様な音楽的刺激を受けることになった。
 1777年、青年期を迎えたモーツァルトは母親を伴ってマンハイム・パリに旅立つ事になる。この旅は新天地での新しい職を求めたものだったが、結果として目的を果たすことができず、またパリでは母を失って1779年1月にはザルツブルグに帰郷する。
 やむなくザルツブルグの宮廷に復職をしたモーツァルトであったが、大司教コロレードとの折り合いは悪く、ついに1781年に大司教と決裂して、ウィーンでフリーの音楽家として活動する道を選ぶ。
 ウィーンでのモーツァルトの活動は、ピアノの教授で安定収入を得ながら、予約演奏会や楽譜収入で収入を得るというものであった。最初の頃は音楽活動もめざましく、82年8月にはコンスタンツェと結婚する。84年にはフリーメーソン結社に加わり、レオポルドがウィーンに息子を訪ねた時期が創作・演奏活動の絶頂期であった。
 しかし、85年後半頃からは演奏活動は下火となっていき、彼の音楽活動にかげりが見え始める。87年にはプラハ訪問を果たすが、5月には父レオポルドを失い、これをきっかけとするかのように生活は暗転していく。
 翌88年には「ドン・ジョヴァンニ」を上演するが評価は芳しくなく、予約演奏会にも人は集まらず、収入もないままにフリーメーソンの盟友であったプフベルクに借金を重ねるようになる。
 90年にはコンスタンツェの健康が悪化してバーデンでの療養が必要となったために経済状態はさらに悪化する。
 91年1月には最後のピアノ協奏曲(K.595)が書かれるが期待した予約演奏会は行われず窮乏はさらにつのり、11月には健康が悪化して12月6日にこの世を去る。

ユング君の一言


モーツァルトについて今さら何も語る必要はないでしょうから、妻コンスタンツェについて一言。
 よく悪妻の典型のように言われるコンスタンツェです。
 実際、モーツァルトの晩年における彼女のバーデン行きはただでさえ大変だった経済状態を破滅的なものにしたことは事実です。
 その経済的困窮が彼の死期を早めたことは疑いのない事実です。おまけに、コンスタンツェのバーデン行きも健康悪化による療養と言うことになっていますが、実態は彼女の我が儘だったという説もありますから、もしそれが事実ならとんでもない悪妻といわねばなりません。

 しかし、忘れてならないのは、モーツァルト死後のコンスタンツェです。
 彼女はモーツァルトの死後、デンマークの外交官であったニッセンと再婚し1842年に亡くなっています。何と彼女はモーツァルトの死後50年以上も生きたことになります。
 そして重要なことは、ニッセンとコンスタンツェはモーツァルトの偉大さを完全に理解していたようで、この二人の手によってモーツァルトの楽譜や手紙類が保存、整理され、後世に完璧な形で伝わったということです。
 今日私たちがモーツァルトの全作品と彼に関わる膨大な資料を享受できるのも、ひとえにコンスタンツェの功績によるものと言っていいのです。
 それを考えれば、簡単に「悪妻」の一言で片づけることはできません。
 それに何よりも、モーツァルトはコンスタンツェを愛していました。後世のそんなレッテル貼りはモーツァルト自身にとってもよけいなお世話だったでしょう。

【リスニングルームの更新履歴】

【最近の更新(10件)】



[2023-03-28]

ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」8Wagner:Tristan und Isolde Act1 Prelude und Liebestod)
ルドルフ・ケンペ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1958年2月10日~13日&17日録音(Rudolf Kempe:Vienna Philharmonic Orchestra Recorded on February 10-13&17, 1958)

[2023-03-27]

グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調, Op.16(Grieg:Piano Concerto in A Minor, Op.16)
(P)ジョルジ・シフラ:アンドレ・ヴァンデルノート チェコ・フィルハーモニア管弦楽団 1958年録音(Gyorgy Cziffra:(Con)Andre Vandernoot Philharmonia Orchestra Recorded on 1958)

[2023-03-26]

シューマン:3つのロマンス, Op.94(Schumann:Drei Romanzen. Op.94)
(Cello)モーリス・ジャンドロン (P)ジャン・フランセ 1952年8月18日録音(Maurice Gendron:(P)Jean Francaix Recorded on August 18, 1952)

[2023-03-25]

ブゾーニ:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調, Op. 35a(Busoni:Violin Concerto in D major, Op 35a)
(Vn)ジークフリート・ボリース:セルジュ・チェリビダッケ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1949年9月4日録音(Siegfried Borries:(Con)Sergiu Celibidache:the Berlin Philharmonic Orchestra Recorded on September 4, 1949)

[2023-03-24]

ファリャ:恋は魔術師(Falla:El amor brujo)
アタウルフォ・アルヘンタ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 1957年8月29日ライブ録音(Ataulfo Argenta:Orchestre de la Suisse Romande Recorded on August 29, 1957)

[2023-03-23]

スーク:交響詩「人生の実り」Op.34(Suk:The Ripening Op.34)
ヴァーツラフ・ターリヒ指揮:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1954年9月7日録音録音(Vaclav Talich:Czech Philharmonic Recorded on September 7, 1954)

[2023-03-22]

ヨハン・シュトラウス II:ワルツ「春の声」 Op.410(Johann Strauss II:Voices of Spring, Op.410)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年12月27日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on December 27, 1959}

[2023-03-21]

ベートーベン:弦楽四重奏曲第15番 イ短調 Op.132(Beethoven:String Quartet No.15 in A minor Op.132)
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 1951年録音(Wiener Konzerthaus Quartett:Recorded on 1951)

[2023-03-20]

シューマン:チェロ協奏曲 イ短調, Op.129(Schumann:Cello Concerto in A minor, Op.129)
(Cell)ザラ・ネルソヴァ:ゲオルク・ルートヴィヒ・ヨッフム指揮、ベルリン放送交響楽団 1960年2月1日~2日録音(Zara Nelsova:(Con)Georg Ludwig Jochum Berlin Radio Symphony Orchestra Recorded on February 1-2, 1960)

[2023-03-19]

テレマン:ターフェルムジーク 第3集 四重奏曲 ホ短調(フルート、ヴァイオリン、チェロと通奏低音のための) (Telemann:Sonata a 4, TWV 43:e2)
(Vn)ヤープ・シュレーダー (Flut)フランス・ヴェスター (Vn)ヤープ・シュレーダー (Cello)アンナー・バイルスマ (Harpsichord)グスタフ・レオンハルトt (Cello)アンナー・バイルスマ 1964年録音((Violin)Jaap Schroder (Flut)Frans Vester (Vn)Jaap Schroder (Cello)Anner Bijlsma (Harpsichord)Gustav Leonhardt Recorded on 1964)