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チャイコフスキー:交響曲第1番 ト短調 作品13 「冬の日の幻想」


マゼール指揮 ウィーンフィル 1964年9月録音


交響曲を書くという「使命」

チャイコフスキーは交響曲を書くことを求められれていました。

何故ならば、遅れたロシアが音楽の分野でもヨーロッパに追いつくためには、ロシアの音楽家がクラシック音楽の王道である交響曲の分野において、ヨーロッパの音楽家が書いた交響曲に劣らないような「交響曲」を書くことが求められていたからです。

もちろん、チャイコフスキーに先んじて交響曲を書いたロシアの音楽家は存在しました。たとえば、チャイコフスキーの師であったアントン・ルビンシテインは既に3曲の交響曲を書き上げていました。
しかし、それらの交響曲は既存のスタイルをなぞっただけの亜流の音楽の域を出ることはなく(聞いたことがないので無責任な受け売りです^^;)、未だ助走にしか過ぎませんでした。

ですから、ルビンシテインが初代の院長となって創設されたペルブルグ音楽院の目的は遅れたロシアが音楽の面でもヨーロッパの水準にまで引き上げることでした。
そして、その音楽院の第1期生として最優秀の成績で卒業したのがチャイコフスキーだったのです。

ロシアの音楽界は、この若き天才にロシアが超えなければいけない課題を託したのです。
ですから、彼は1865年に音楽院を卒業すると、すぐに交響曲の作曲に取りかかります。そして、その翌年の1866年に第1番の交響曲「冬の日の幻想」を完成させます。
おそらく、今でもコンサートで取り上げられる事がある「ロシア初の交響曲」としてはこれが間違いなく第1番です。

しかし、この交響曲を示された師のルビンシテインは全く気に入らなかったようです。理由は単純です。ヨーロッパの交響曲が持っている強固な形式感が希薄だと感じたのです。
確かにこの交響曲は、明らかに交響詩的な性格を色濃く持っています。

ここにあるのは主題を構成する動機をもとに音楽を論理的にくみ上げていくのではなく、彼が愛したロシアの大地のイメージを次々と提示していくような音楽だったからです。いや、提示していくのではなくて、まるで聞き手がロシアの大地を逍遙していくかのような雰囲気の音楽なのです。
ルビンシテインにしてみれば、オレが期待したのはこんな音楽じゃない!と言いたかったのでしょうね。

しかし、そんな師の不興にかかわらず、これを評価して初演を実現してくれた人がいました。
それが、1866年に開校されたモスクワ音楽院の初代院長、ニコライ・ルビンシテインでした。
アントン・ルビンシテインの弟であり、偉大なピアニストとして名を残した人です。(ただし、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を演奏不可としてはねつけたことでも有名です)

なお、この作品は何度か改訂され、現在はかなり整理整頓されて短くなった1874年版(第3稿)が決定版として採用されています。

交響曲第1番 ト短調 作品13 「冬の日の幻想」

  1. 第1楽章:「冬の旅の幻想」Allegro tranquillo - Poco piu animato

  2. 第2楽章:「陰気な土地、霧の土地」Adagio cantabile ma non tanto - Pochissimo piu mosso

  3. 第3楽章:Scherzo. Allegro scherzando giocoso

  4. 第4楽章:Finale. Andante lugubre - Allegro moderato - Allegro maestoso - Allegro vivo - Piu animato



至る所にロシアの民謡の旋律が使われていて、さらに最終楽章では革命的な学生運動の中で歌われた「花が咲いた」のメロディが使われています。
こういうあたりが師の不興を買った原因のようです。

交響曲第2番 ハ短調 作品17「小ロシア」

  1. 第1楽章:Andante sostenuto - Allegro vivo - Molt meno mosso

  2. 第2楽章:Andantino marziale,quasi moderato

  3. 第3楽章:Scherzo.Allegro molt vivace - L'istesso tempo

  4. 第4楽章:Finale.Moderato assai - Allegro vivo - Presto



この作品は1872ンの7月に着手し10月には完成し、さらに翌年の1月には初演がされています。
第1楽章と終楽章でウクライナなの民謡が用いられているので「ウクライナ」もしくは「小ロシア」と呼ばれるようになった作品ですが、それはチャイコフスキー自身が与えた標題ではありません。

ただし、この作品も後に大幅に手を加えられ、1879年の第2稿が決定版となっています。
1879年と言えばすでに彼の個性がはっきりと刻印されるようになった第4番の交響曲が書き上げられた翌年です。そして、その改訂は部分的な手直しというよりは「改作」に近いものだったので、番号は2番と若くても内容的にはかなり充実したものになっています。チャイコフスキーの初期シンフォニー3曲の中ではもっとも演奏機会の多い作品だと言えます。

交響曲第3番 ニ長調 作品29「ポーランド」

  1. 第1楽章:ntroduzione e Allegro: Moderato assai (Tempo di marcia funebre) - Allegro Billante

  2. 第2楽章:Alla tedesca: Allegro moderato e semplice

  3. 第3楽章:Andante elegiaco

  4. 第4楽章:Scherzo: Allegro vivo

  5. 第5楽章:Finale: Allegro con fuoco (Tempo di polacca)



最初の二つの交響曲では国民楽派的な音楽作りをしていたのですが、そこからの脱却を目指したのがこの第3番の交響曲でした。しかし、「思いはあっても力は及ばず」という事は否定できず、結果として非常に中途半端な作品になってしまいました。
口の悪い人に言わせれば、楽章が5つもある上に、その楽章どうしに何の統一感もなく、雑多な組曲のようだと言われたようです。

ただし、チャイコフスキー自身はこの新しい一歩の踏み出しに自信があったようで、その思わぬ不評には心底がっかりしたようです。そして、その落胆の大きさ故に、最初の2曲のような改訂作業も行われずに放置されてしまいました。
結果として、チャイコフスキーの初期シンフォニー3曲の中ではもっとも演奏機会の最も少ない作品になってしまいまいました。

なお、「ポーランド」という標題は大終楽章でポロネーズのリズムが用いられているために謂われ始めたようなのですが、これもまた言うまでもなくチャイコフスキーのあずかり知らぬ事です。

上りの美学、下りの美学


マゼールがこの時期に、ウィーンフィルとの間でシベリウスとチャイコフスキーの交響曲全集を完成させることができたのはマゼール自身にとっても、聞き手ある私たちにとってもとても幸運なことでした。
何故ならば、ここには頂点を目指して駆け上がっていく溢れる才能がほとばしっているからです。

この少し後になるとアバドやムーティ、そしてメータや小沢などと言う若手が同じような勢いに溢れる演奏を聴かせてくれるようになります。
確かに、若い頃の小沢は今からは想像もできないほどに素晴らしい音楽を聴かせてくれたものです。

ただし、彼らには残念な共通もがあります。
それぞれが世界的にトップクラスのオケのシェフと言う地位を手に入れて、そこで安定して音楽活動を始められるようになると、平均点はそこそこなのに、彼らが何をしたいのかが聞き手に伝わってこないような音楽ばかりを生み出すようになったことです。
いや、こんな言い方をすると反論もあるでしょう。しかし、私には、そう言う不満がいつもついて回り、結果として90年代以降になると彼らの新しい録音は殆ど聴かないようになってしまいました。
それはマゼールにおいても同様です。

当時は別に何故なんだろう?などとは考えませんでした。
私も若かったですから、ただ「面白くないものに金は使いたくはない」という一点だけでした。

しかし、年を重ねてきて、気がつくこともあります。

頂点目指して駆け上がっていくのは体力も必要ですし気力も求められますから、しんどいことはしんどいです。
しかし、目指すべき頂点ははっきり見えているわけですから、その見えている一点を目指して駆け上がっていくのはそれほど困難なことではありません。

問題は、頂点に近づいてきて、今度は何処を目指して進んでいくかを自分で見いださなければならなくなったときです。そして、彼らの多くはその頂上付近でぐるぐる回るばかりでした。
その違いは、たとえばテンシュテットやクライバーと比較してみれば明らかです。

しかし、山は登れば下りなければいけません。
やがて、彼らもまた下山の時を迎え、その衰えを自覚して下りの芸術に取り組むことを余儀なくされるときがきています。

しかし、どうしても下れない人もいます。
世間はそれを「老醜」と言います。

指揮者にはこの「老醜」をさらす人が多いのですが、稀に、見事に下って見せる人がいます。
そして、驚くべきは、同世代の指揮者の中では一番ギラギラしていると思われていたマゼールが見事に山を下ってみせたことです。結果として、大きな環を閉じることで、この若い時代の勢いに満ちた演奏にも大きな価値が生まれたのです。

指揮者にとって「若い頃は良かったのにね」と言われるのは屈辱以外の何ものでもないと思われます。この屈辱をはねのけるには、誰もが認める天辺まで駆け上がるか、見事に山を下ってみせるかの二つしかありません。

ネット上の評価を散見していると、マゼール&ウィーンフィルの演奏を取り上げて、後期の4番以降は深みが足りなくて物足りないが、初期シンフォニーではマゼールの手際の良さが馴染みのうすい作品を面白く聴かせてくれる、などと書いている人が少なくないようです。
あまり悪口は書きたくないのですが、何を聴いているんだ!と言いたくなります。

たとえば6番「悲愴」の、この割り切れた表現は希有のものです。本当に、あれよあれよという間に終わってしまうので、人によっては物足りなく思える人もいるかもしれません。
しかし、だからといって、これを「深み」が足りないなどと言うのは、クラシック音楽の聴き方としてはあまりにも一面的に過ぎます。
作品が持つ本来の姿を過不足なく描き出し、さらに勢いと情熱をも感じさせてくれる演奏というのは、それほど簡単なものではないのです。

それは、もったいぶった恣意的解釈を持ち込んで、さも深みがあるかのように偽る演奏と比べれば、遙かに困難な仕事なのです。
また、第5番のシンフォニーの方は、冒頭の部分は重々しい雰囲気で始まるのですが、アレグロの主部に入れば若いマゼールらしい勢いと明晰さがしっかりと前面に出てきます。

また、こういうアプローチだとオケの響きに物足りなさを感じたりするのですが、そこをウィーンフィルの本能が上手くカバーしてくれています。
シベリウスの時はその本能が必ずしもプラスにはたらかない場面もあったのですが、チャイコフスキーだとそんな心配は全くありません。

なお、1番から3番までの初期シンフォニーに関しては、あれこれ言えるほどの数を聴いていませんので何とも評しようがないのですが、ともすれば交響曲というよりは組曲のように聞こえてしまう作品の弱さを上手くカバーしていることは間違いありません。
そして、こういう演奏で聞かされると、これら初期シンフォニーも、少なくともシベリウスの1番や2番程度の頻度では演奏されてもいいのではないかと思われます。

ただし、凡人の手にかかると、こんなに面白く聴けないのかもしれません。

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