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Home|ワルター(Bruno Walter)|シューベルト:交響曲第5番 変ロ長調 D485

シューベルト:交響曲第5番 変ロ長調 D485

ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1960年2月26,29日&3月3日録音

Schubert:Symphony No.5 in B Flat major D.485 [1st movement]

Schubert:Symphony No.5 in B Flat major D.485 [2nd movement]

Schubert:Symphony No.5 in B Flat major D.485 [3rd movement]

Schubert:Symphony No.5 in B Flat major D.485 [4th movement]


過渡期の作品

シューベルトの初期作品は交響曲という形式であっても身近な演奏団体を前提として作曲された作品です。この身近な演奏団体というのは、シューベルト家の弦楽四重奏の練習から発展していった素人楽団であろうといわれています。
しかし、対のように作曲されたこの4番と5番の交響曲は、その様な身内のための作品でありながら、次第にプロの作曲家として自立していこうとするシューベルトの意気込みのようなものも感じ取れる作品になってきています。とりわけ、この第5番の交響曲では、以前のものと比べるとよりシンプルでまとまりのよい作品になっていることに気づかされます。もちろん、形式が交響曲であっても、それはベートーベンの業績を引き継ぐような作品でないことは明らかですが、それでも次第次第に作曲家としての腕を上げつつあることをはっきりと感じ取れる作品となっています。

この作品を完成させた頃に、シューベルトはイヤでイヤで仕方なかった教員生活に見切りをつけて、プロの作曲家を目指してのフリーター生活に(もう少しエレガントに表現すれば「ボヘミアン生活」に)突入していきます。
そして、これに続く第6番の交響曲は、シューベルト自身が「大交響曲 ハ長調」のタイトルを付け、私的な素人楽団による演奏だけでなく公開の場での演奏も行われたと言うことから、プロの作曲家をめざすシューベルトの意気込みが伝わってくる作品となっています。また。この交響曲は当時のウィーンを席巻したロッシーニの影響を自分なりに吸収して創作されたという意味でも、さらなる技量の高まりを感じさせる作品となっています。
その意味では、対のように作曲された4番と5番のの交響曲、さらにはプー太郎になって夢を本格的に追いかけ始めた頃に作曲された第6番の交響曲は、シューベルトにとっては様々な意味において「過渡期」の作品だったといえます。


カラヤンとワルター

出典は不確かなのですがカラヤンは「モーツァルトとシューベルトだけはどうにも苦手だ」みたいな事を語っていたそうです。それと比べると、モーツァルトやシューベルトを得意としたワルターは、そう言うカラヤン的な存在の対極にあるのかもしれません。
もちろん、それをもって、カラヤンは駄目でワルターは偉大だ、みたいなことを言いたいのではありません。そうではなくて、なんだかこれを一つのきっかけとしてワルターという指揮者の本質が見えてくるような気がするのです。

カラヤンという指揮者は「芸術を享楽的に消費する」タイプの音楽家でした。彼にとって重要なのは評論家ではなくて聴衆でした。
世の評論家からどれほどの酷評を向けられたとしても、実際のコンサートでブラボーを叫び、録音したレコードを常に購入してくれる聴衆が存在しているならば、そんなも酷評は何ほどのこともなかったのです。
そして、こういう系譜はパガニーニやリスト以来、クラシック音楽にはなくてはならない存在でした。いつもいつも、深い精神性に満ちた音楽ばかりをウンウン言いながら聞いていては疲れてしまいます。

そして、パガニーニやリストが聴衆からの絶大なブラボーを勝ち取った原動力が超絶的なテクニックであったのに対して、カラヤンの場合はベルリンフィルとと言う超絶的なテクニックを持ったオーケストラをフルに活用して生み出す「旋律と響き」が最大の武器でした。ある人はそれを「流線型の美学」と呼びました。
そして、その美学は多くの場で大きな成功を収めました。しかしながら、どうにもこうにも相性が悪かったのがモーツァルトとシューベルトでした。豊かな響きで描き出される美しい旋律線は、ともすれば、彼らの音楽には不可欠な光と影の交錯を光一色で塗りつぶしてしまいます。それはそれで開き直って聞いてみれば面白い部分もあるのですが、さすがにまずいかなという自覚はあったと言うことなのでしょう。

それと比べると、コンサートの前に霊界のモーツァルトと交信していたと噂されたワルターは、「芸術を享楽的に消費する」タイプとは正反対の位置にある音楽家でした。
こんな書き方をするとオカルトに過ぎるのですが、彼にとってのコンサートとは霊界のモーツァルトやシューベルトから託された音楽を現実のものとして提供する場であったはずです。そこで重要なことは聴衆からのブラボーでもなければレコードの売り上げでもなく、その託された音楽をどれほど実現できたかであったはずです。

一度は引退を決意したワルターが最晩年にステレオ録音に取り組んだ理由として、レコード会社が示した破格のギャラを挙げる人もいますが、それはほんの些細な事だったはずです。渋るワルターを口説き落としのは、「ステレオ録音という新しい技術が生まれたので、このままではモノラルでしか録音されていないあなたの音楽は消え去ってしまう」という脅し文句だったと言われています。
この脅し文句は、音楽以外には全く無知だったワルターには十分すぎるほどの効果があったのです。

幸いなことに、この最晩年のワルターのリハーサル風景が録音として残されています。その中でも、モーツァルトのリンツの練習風景は有名です。
それを聞けば、彼がいかにモーツァルトの音楽の形を伝えようと腐心しているかが分かります。しかし、細かいアンサンブルや全体の響きなどに関しては全く無頓着です。それは、どうでもいいような細部のニュアンスに対して執拗に繰り返しを求めるカラヤンのリハーサルとは対照的です。
なるほど、こんな風にリハーサルをすれば、ワルターのモーツァルトやシューベルトは細部の雑さはあっても、そこからは彼が求めたモーツァルトやシューベルトの形が明確に立ち現れるはずだと納得させられます。それに対して、カラヤンのモーツァルトやシューベルトは、細部の微細な傷さえも目に使いなほどに磨き上げられているのに、結果としての音楽はモーツァルトやシューベルトのスコアを借りたカラヤンの音楽になってしまう理由も納得できます。

モーツァルトやシューベルトは傷つきやすく、コントロールしようとするとスルリとその手から逃げてしまいます。しかし、ワルターはその手の中に彼らの音楽を大いなる尊敬の念をもってすくい上げました。

カラヤンは多くの聴衆から賞賛され、同業者からは恐れられました。しかし、本当の意味で尊敬されていたのかは疑問が残ります。いや、尊敬されていなかったが故に、最晩年になってベルリンフィルとの軋轢を引き起こしてしまったのでしょう。
それに比べると、ワルターの最晩年は幸せに満ちたものでした。

外山雄三氏がご自分のサイトで、ワルターにとっても最後となったウィーンでの最後の演奏会の様子を語っておられます。

「舞台上手から微かに足音が聞えたかと思うと客席は一人残らず立ち上がって拍手を始めた。・・・名声実力共に絶頂期だったエリーザベト・シュヴァルツコプフの独唱でマーラーの歌曲3曲。日常の習慣と違ってブルーノ・ワルター(男性)が先を歩き、その数歩後からシュヴァルツコプフが、まるで侍女のように付き従って舞台に現れたのは忘れがたい光景である。・・・休憩後はマーラーの「4番」(独唱・シュヴァルツコプフ)。何も言うことなし。ヴィーンで再びブルーノ・ワルターを聴くことは無いだろうとほとんどの人たちが感じている長い長い暖かい拍手が続いた。」

カラヤンがその生涯をかけて求め続けて結局は手に入れられなかったものが、そこにはあったと言うことです。

<追記>
どうでもいいことですが、交響曲第5番 変ロ長調(コロンビア響との60年録音)というのは目立たない作品ですが、58年録音の「未完成」(ニューヨークフィルとの58年録音)よりもワルターの良さが楽しめる演奏になっているように思います。おそらく、オケの違いが大きいと思います。
コロンビア響というのは世間で言われているほど悪いオケではありませんし、録音のクオリティも非常に高いです。

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2014-08-30:KAZU





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