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        <title>ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調, Op.61(Beethoven:Violin Concerto in D major, Op.61)&gt;&gt;&gt;(Vn)ダヴィド・オイストラフ:シクステン・エールリンク指揮 ストックホルム・フェスティヴァル管弦楽団 1954年録音(David Oistrakh:(Con)Sixten Ehrling Royal Stockholm Philharmonic Orchestra Recorded on 1954)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5855</link>
        <description>&lt;h3&gt;忘却の淵からすくい上げられた作品&lt;/h3&gt;ベートーベンはこのジャンルの作品をこれ一つしか残しませんでした。しかし、そのたった一つの作品が、中期の傑作の森を代表するする堂々たるコンチェルトであることに感謝したいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このバイオリン協奏曲は初演当時、かなり冷たい反応と評価を受けています。&lt;br /&gt;
「若干の美しさはあるものの時には前後のつながりが全く断ち切られてしまったり、いくつかの平凡な個所を果てしなく繰り返すだけですぐ飽きてしまう。」&lt;br /&gt;
「ベートーベンがこのような曲を書き続けるならば、聴衆は音楽会に来て疲れて帰るだけである。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
全く持って糞味噌なけなされかたです。&lt;br /&gt;
こう言うのを読むと、「評論家」というものの本質は何百年たっても変わらないものだと感心させられます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、もう少し詳しく調べてみると、そう言う評価の理由も何となく分かってきます。&lt;br /&gt;
この協奏曲の初演は1806年に、ベートーベン自身の指揮、ヴァイオリンはフランツ・クレメントというヴァイオリニストによって行われました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作品の完成が遅れたために（出来上がったのが初演の前日だったそうな）クレメントはほとんど初見で演奏しなければいけなかったようなのですが、それでも演奏会は大成功をおさめたと伝えられています。&lt;br /&gt;
しかし、この「大成功」には「裏」がありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実は、この演奏会では、ヴァイオリン協奏曲の第1楽章が終わった後に、クレメントの自作による「ソナタ」が演奏されたのです。&lt;br /&gt;
今から見れば無茶苦茶なプログラム構成ですが、その無茶草の背景に問題の本質があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのクレメントの「ソナタ」はヴァイオリンの一本の弦だけを使って「主題」が演奏されるという趣向の作品で、その華麗な名人芸に観客は沸いたのでした。&lt;br /&gt;
そして、それと引き替えに、当日の目玉であった協奏曲の方には上で述べたような酷評が投げつけられたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の聴衆が求めたものは、この協奏曲のような「ヴァイオリン独奏付きの交響曲」のような音楽ではなくて、クレメントのソナタのような名人芸を堪能することだったのです。彼らの多くは「深い精神性を宿した芸術」ではなくて、文句なしに楽しめる「エンターテイメント」を求めたいたのです。&lt;br /&gt;
そして、「協奏曲」というジャンルはまさにその様な楽しみを求めて足を運ぶ場だったのですから、そう言う不満が出ても当然でしたし、いわゆる評論家達もその様な一般の人たちの素直な心情を少しばかり難しい言い回しで代弁したのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それはそうでしょう、例えば今ならば誰かのドームコンサートに出かけて、そこでいきなり弦楽四重奏をバックにお経のような歌が延々と流れれば、それがいかに有り難いお経であってもウンザリするはずです。&lt;br /&gt;
そして、そういう批評のためか、その後この作品はほとんど忘却されてしまい、演奏会で演奏されることもほとんどありませんでした。&lt;br /&gt;
この曲は初演以来、40年ほどの間に数回しか演奏されなかったと言われています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その様な忘却の淵からこの作品をすくい上げたのが、当時13才であった天才ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムでした。&lt;br /&gt;
1844年のイギリスへの演奏旅行でこの作品を取り上げて大成功をおさめ、それがきっかけとなって多くの人にも認められるようになったわけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;第一楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ&lt;br /&gt;
	冒頭にティンパニが静かにリズムを刻むのですが、これがこの楽章の形を決めるのは「構築の鬼ベートーベン」としては当然のことでしょう。ただし、当時の聴衆は協奏曲というジャンルにその様なものを求めていなかったことが不幸の始まりでした。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;第二楽章 ラルゲット&lt;br /&gt;
	この自由な変奏曲形式による美しい音楽は当時の聴衆にも受け入れられたと思われます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;第三楽章 ロンド アレグロ&lt;br /&gt;
	力強いリズムに乗って独奏ヴァイオリンと管弦楽が会話を繰り返すのですが、当時の聴衆は「平凡な個所を果てしなく繰り返す」と感じたのかもしれません。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;</description>
    </item>
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        <title>ベｰトｰベン:「ルール・ブリタニア」による5つの変奏曲 WoO 79(Beethoven:5 Variations on Rule Britannia, WoO 79)&gt;&gt;&gt;(P)アルフレッド・ブレンデル 1958年&amp;1960年録音(Alfred Brendel:Recorded on 1958 &amp; 1960)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5854</link>
        <description>&lt;h3&gt;ベートーベンのピアノ変奏曲&lt;/h3&gt;ベートーベンは若い頃を中心に数多くの「ピアノのための変奏曲」を作曲しているのですが、その後も折に触れてこの形式によるピアノ曲を残しています。その中でも、とりわけ重要であり、しかしながら最後まで聞き通すにはかなりの忍耐を強いられるのが「ディアベリ変奏曲」でしょう。&lt;br /&gt;
しかしながら、あれはベートーベンの「ピアノのための変奏曲」の中においてみればモンスター的に異形なる存在であって、その大部分は当時の聴衆に人気のあったオペラなどの一節をテーマにしたものが大部分でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「変奏」とは一般的には「ある旋律のリズム、拍子、旋律、調子、和声などを変えたり、さまざまな装飾を付けるなどして変化を付けること」とされています。しかし、ベートーベンの「変奏曲」というジャンルにおける探求を跡づけていくと、「変化をつける」などと言う範疇に留まらないことに気づかされます。&lt;br /&gt;
いや、確かに最初は、オペラなどから拝借した旋律を面白おかしく変化させて聴く人の耳を楽しませる所からスタートしています。しかしながら、その到達点である「ディアベリ変奏曲」を聴くとき、そこには面白おかしく変化をつけて聴く人の耳を楽しませるなどという姿勢は吹き飛んでいます。&lt;br /&gt;
それでは、そこでベートーベンは何をしようとしたのかといえば、それは主題が内包する可能性を徹底的に汲み尽くすことでした。&lt;br /&gt;
よく知られているように、ディアベリによって示された「テーマ」は実に単純で陳腐なもののように見えました。しかしながら、外面的には「陳腐で単純」に見えたテーマの中に豊かな可能性をかぎつけたのがベートーベンの天才でした。&lt;br /&gt;
そのテーマが単純であるがゆえに、それを様々な音楽的スタイルの中においてみることが可能であり、そのスタイルによってはディアベリのテーマはほとんど姿を消しているように見えながらも、それもまた主題の可能性を最大限に追求した結果であるような音楽になっているのです。&lt;br /&gt;
そして、その最後の到達点と若い頃の作品を並べてみれば、ベートーベンという音楽家がその生涯においてどれほど長い距離を歩いたかが分かるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ベートーベンにとって「ピアノ・ソナタ」という形式は常に実験の場であったのですが、「ピアノのための変奏曲」はそれ以上に実験的な場だったのかも知れません。そして、その実験的性格ゆえに、例えば「ハ短調変奏曲」と呼ばれることもある中期の作品などには作品番号を与えなかったのかも知れません。&lt;br /&gt;
そう考えれば、ベートーベンのこのジャンルにおける歩みを辿ってみることも意味あることなのかも知れません。&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;ベｰトｰベン:「ルール・ブリタニア」による5つの変奏曲 WoO 79&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
「ルール・ブリタニア」による5つの変奏曲（WoO 79）は、同時期に書かれた「ゴッド・セイヴ・ザ・キングによる7つの変奏曲（WoO 78）」と対をなす作品です。であり、当時の政治的背景やベートーヴェンの遊び心が反映されています。&lt;br /&gt;
1800年代初頭のウィーンではナポレオン戦争の影響もあり、イギリスへの関心が高まっていました。ベートーヴェンはこの時期、イギリスの愛国歌をテーマにした変奏曲を相次いで出版しています。&lt;br /&gt;
後年の「ウェリントンの勝利」ほど露骨ではありませんが、反ナポレオン感情とイギリスへの敬意が、親しみやすい変奏曲という形で表現されています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
変奏の主題となっているのは、トーマス・アーンが作曲した劇音楽「アルフレッド」の中の有名なアリア「ルール・ブリタニア（英国よ、統治せよ）」です。&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;主題（Theme）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	非常に堂々とした、行進曲風の性格を持っています。ベートーヴェンは原曲の旋律をほぼ忠実にピアノへ移し替えていますが、和声の付け方に彼らしい力強さが見られます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第1変奏&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	16分音符による細かな装飾が加わります。優雅でありながら、右手のパッセージが華やかさを添えます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第2変奏&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	右手の3連符が特徴的です。主題の旋律が流動的な動きの中に組み込まれます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3変奏&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	左手の16分音符がうねるように動き、右手が和音で応える、より技巧的な変奏です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第4変奏&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	ここで唯一、変ロ短調に転じます。悲劇的で重厚な響きとなり、全体の構成に深い影とコントラストを与えます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第5変奏&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	再び変ロ長調に戻ります。最後はコーダが付き、華やかなアルペジオや和音打鍵を経て、輝かしく曲を閉じます&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
「エロイカ変奏曲」のような劇的な深みよりも、「ウィーンのサロンでの即興演奏」に近い軽やかさを持っています。&lt;br /&gt;
ベートーヴェンは、単純な旋律をいかにピアノの語法で多彩に見せるかに注力しています。中期の傑作群に向かう途上の作品であり、変奏技法の巧みさが随所に光ります。&lt;br /&gt;
</description>
    </item>
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        <title>アントン・ルビンシテイン:ピアノ協奏曲 第4番 ニ短調 作品70(Anton Rubinstein:Piano Concerto No.4 in D Minor, Op.70)&gt;&gt;&gt;(P)オスカー・レヴァント:ディミトリ・ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルハーモニック1952年3月31日録音(Oscar Levant:(Con)Dimitri Mitropoulos Philharmonic-Symphony Orchestra Of New York Recorded on March 31, 1952)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5853</link>
        <description>&lt;h3&gt;演奏機会のある数少ない作品&lt;/h3&gt;ルビンシテインの協奏曲と聞くと、「ルビンシテインって作曲してたの」と思われる人もいるかもしれません。しかし、こちらのルビンシテインと20世紀のピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインとは別人ですし、血縁関係もないようです。&lt;br /&gt;
なお、どうでもいいことですが「アントン・グリゴリエヴィチ・ルビンシテイン」も「アルトゥール・ルービンシュタイン」も、ともに綴りは「Rubinstein」です。&lt;br /&gt;
なのに、一般的な日本語表記は「ルビンシテイン」と「ルービンシュタイン」となります。この違いはどこから来るのでしょうかね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まあ、そんなことはどうでもいいです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「アントン・グリゴリエヴィチ・ルビンシテイン」は19世紀に活躍したピアニストで作曲活動も精力的に行っていた人物です。&lt;br /&gt;
そして、ショパンやリストとも面識があったということですから、大体どういう時代の人かは想像がつくと思われます。さらに、ベルリンでの演奏会でメンデルスゾーンとマイアベーアの知遇を得て、マイアベーアの勧めて作曲と音楽理論を学ぶことになりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後もヨーロッパやアメリカで精力的に演奏会を開いて世界的名声を博し、ロシア・ピアノ流派の祖と言われています。&lt;br /&gt;
1862年にロシア最初の専門的な音楽教育機関であるサンクトペテルブルク音楽院を創設し、1859年にはロシア音楽協会を創設しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、ヨーロッパの音楽的伝統をロシアに根付かせるために、オペラから歌曲までのすべてのジャンルで作曲活動をおこなうようになりました。&lt;br /&gt;
しかし、そのことが民族主義的作曲家グループである「ロシア5人組」との対立を招いたようです。彼らからすればルビンシテインの音楽はドイツ・ロマン主義的で保守的な音楽としか思えなかったのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのためか、あらゆるジャンルに膨大な作品を残したにも関わらず現在ではほとんど演奏される機会はなくなってしまいました。そんな中で「ピアノ協奏曲第4番」は演奏機会のある数少ない作品です</description>
    </item>
    <item rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5852">
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        <dc:creator></dc:creator>
        <title>ケルビーニ：レクィエム ニ短調(Cherubini:Requiem in C minor)&gt;&gt;&gt;イーゴリ・マルケヴィチ指揮:チェコ・フィルハーモニー合唱団 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1962年12月録音(Igor Markevitch:Czech Philharmonic Chorus  Czech Philharmonic Orchestra Recorded on December, 1962)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5852</link>
        <description>&lt;h3&gt;ケルビーニ自身の葬儀で演奏されることを願って&lt;/h3&gt;ケルビーニのレクイエムにはハ短調とニ短調の2曲があります。&lt;br /&gt;
ニ短調のレクイエムはハ短調に続く第2作目であり、彼が81歳で没する6年前に完成させた「白鳥の歌」とも言える作品です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ニ短調のレクイエムはケルビーニ自身の葬儀で演奏されることを願って書かれたもので、教会において確実に演奏されるよう、男声三部合唱（テノール、バリトン、バス）とオーケストラという編成でこのニ短調を書き上げたのでした。&lt;br /&gt;
というのも、前作のハ短調のレクイエムがパリ大司教から「教会の儀式に女性(女声合唱)が参加するのは不適切である」と異議を唱えられたからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、ソリストも一切起用せず、合唱がすべてのメッセージを担うことで、個人の感情を超えた普遍的で荘厳な祈りが強調される事を願ったようです。 &lt;br /&gt;
全7楽章で構成されており、対位法の大家であったケルビーニらしい緻密な書法が随所に見られます。&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;Introitus et Kyrie（入祭唱とキリエ）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	低弦による暗く沈んだ導入から始まり、男声合唱が静かに祈り始めます。ソプラノがいないため、通常のレクイエムよりも中低音域が厚く、大地に根ざしたような安定感と荘厳さが特徴です。 &lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;Graduale（昇階唱）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	無伴奏の合唱（ア・カペラ）に近いスタイルで書かれた、短くも非常に美しい楽章です。ケルビーニの対位法の妙が光り、清らかな旋律が重なり合うことで、深い哀悼の意が表現されます。 &lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt; Dies irae（怒りの日）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	全曲のクライマックスです。冒頭、タムタム（銅鑼）の鋭い一撃が鳴り響き、最後の審判の恐怖を劇的に描き出します。この楽章は後のベルリオーズやヴェルディの先駆けとも言える激しいオーケストレーションを伴い、聴き手を圧倒します。 &lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;Offertorium（奉納唱）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	「Quam olim Abrahae（かつてアブラハムに）」の箇所での壮大なフーガが聴きどころです。ケルビーニの職人芸的なフーガは非常に力強く、男声合唱のダイナミズムが最大限に発揮されます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;Sanctus（聖なるかな）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	比較的短く、祝祭的で力強い楽章です。管楽器が効果的に使われ、神の栄光を称える輝かしい響きが広がります。 &lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt; Pie Jesu（慈しみ深き主よ）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	本作の中で最も叙情的で柔らかな楽章です。男声合唱による優しく包み込むようなハーモニーが、救いを求める魂の安らぎを美しく歌い上げます。 &lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;Agnus Dei（神の小羊）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	冒頭の「Agnus Dei」は情熱的な祈りとして始まりますが、最後は「Lux aeterna（絶えざる光）」へと続き、音が一つずつ消えていくような長いディミヌエンド（徐々に弱く）で幕を閉じます。&lt;br /&gt;
	この静寂への消え方は、当時の音楽としては極めて革新的なものでした。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
</description>
    </item>
    <item rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5851">
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        <dc:creator></dc:creator>
        <title>ベートーヴェン:八重奏曲, Op.103(Beethoven:Octet in E-Flat Major, Op.103)&gt;&gt;&gt;ウィーン・フィルハーモニー木管グループ:1954年録音(Vienna Philharmonic Wind Group:Recorded on 1954)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5851</link>
        <description>&lt;h3&gt;ベートーベン最初期の機会音楽&lt;/h3&gt;作品番号は103なのですが、作曲されたのはボン時代の終わりごろで、おそらくは選帝侯マクシミリアンの食卓音楽のために作曲されたと考えられています。&lt;br /&gt;
同じ時期に作曲されたのは同じ楽器編成による「ロンディーノ(WoO25)」です。&lt;br /&gt;
オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2（計8名）という楽器編成は当時の「ハルモニームジーク」と呼ばれる宮廷の食卓音楽や娯楽用音楽のの標準的な編成でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、「ロンディーノ」のほうは食卓音楽にふさわしい愛らしい楽曲ですが、この八重奏曲のほうは整った4楽章構成です。&lt;br /&gt;
さらに、第1楽章の主要主題が一動機の反復で構成されていたり、メヌエット楽章の主題の発展の仕方がスケルツォと言っていい程だったりして、後のベートーベンの姿を彷彿とさせます。&lt;br /&gt;
そこには若きベートーベンの並々ならない気概があふれています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、第2楽章はアダージョの三部形式で伸びやかな牧歌的な主題と中間部の端緒運も哀調が魅力的です。&lt;br /&gt;
終楽章はプレストのロンド形式です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
面白いのは、この作品は後に弦楽五重奏曲に編曲されて「作品6」として出版されるのですが、何故か原曲のほうは出版する意思がなかったようで、初めて出版されたのはベートーベンの死後となる1830年のことでした。&lt;br /&gt;
そして、その出版に際して出版社が勝手につけたのが「作品103」でした。もちろん「作品103」には何の根拠もなく、たんなる出版社の勘違いか、おそらくはより後の作品として売りたかったのでしょう。</description>
    </item>
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        <title>ルーセル:弦楽三重奏曲 イ短調 Op.58(Roussel:String Trio in A minor, Op.58)&gt;&gt;&gt;パスキエ・トリオ:1954年発行(Pasquier Trio:Published in 1954)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5850</link>
        <description>&lt;h3&gt;一音の無駄もない極めて濃密な対位法&lt;/h3&gt;海軍士官として海で過ごした異色の経歴を持ちます。若くして両親を亡くし、当初は海軍兵学校に入学し、海軍士官としてインドや東南アジアへの航海を経験しました。&lt;br /&gt;
25歳で音楽に専念するために除隊し、スコラ・カントルムでヴァンサン・ダンディに師事しました。&lt;br /&gt;
当初は時代の流れとでもいうのでしょうか、ドビュッシーやラヴェルなどの印象主義的な影響から出発しています。しかし、次第に古典的で引き締まったものへと変わっていきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その背景には彼自身の理知的で規律正しい資質があるとともに、第1次大戦が決定的なターニングポイントとなりました。&lt;br /&gt;
彼は45歳という年齢で志願して戦地に向かい、輸送部隊の将校としてヴェルダンなどの最も激しい戦場を経験しました。その過酷な戦場の姿を前にして印象主義的な「繊細な色彩」や「夢見心地な雰囲気」はあまりに装飾的で享楽的だと感じざるを得ず、もっと強靭で、骨組みがしっかりとした音楽を書かなければならないという使命感に駆られたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1920年代はバロックや古典派のような「簡潔さ」「明晰さ」「形式美」を重視し、現代的な感覚で再構築しようとした「新古典主義」が唱えられるようになるのですが、ルーセルはそういう流れに乗ったのではなく、自らの使命感と職人気質が合致した結果でした。&lt;br /&gt;
ですから、ルーセルを「印象主義」から「新古典主義」へとp転身した作曲家という言い方は、外見的にはその通りであっても、なんだか彼の本意をくみ取れていないような気がするのです。&lt;br /&gt;
戦前のルーセルが「香りを描く詩人」だったとすれば、戦後の彼は「鋼鉄を組み立てる建築家」へと変貌したのです。&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;ルーセル:弦楽三重奏曲, Op.58&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
「弦楽三重奏曲」は、1937年に作曲されたルーセルの遺作です。&lt;br /&gt;
本来は4楽章構成を予定していたと言われていますが、完成したのは3楽章までです。しかし、その3つの楽章だけで完璧な均衡を保っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一音の無駄もない極めて濃密な対位法で書かれていて、セレナーデ等に見られた華やかな色彩感は影を潜め、音楽の「骨格」そのものの美しさを提示しています。&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第1楽章 Allegro moderato&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	力強く、毅然とした足取りで始まります。&lt;br /&gt;
	ルーセルらしい筋肉質なリズムと、少し突き放すような厳格な響きが特徴です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第2楽章 Adagio&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	非常に深く、静謐な祈りのような音楽。&lt;br /&gt;
	死を前にした作曲家の、澄み切った精神世界が広がります。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3楽章 Scherzo (Allegro con spirito)&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	一転して、ルーセル特有の快活でエネルギッシュなリズムが炸裂します。&lt;br /&gt;
	死の直前まで「生命の躍動」を書き続けた彼の音楽魂を感じさせます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;</description>
    </item>
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        <title>アンリ・リトルフ:交響的協奏曲第4番 ニ短調, Op.102~第2楽章：Scherzo(Litolff:Concerto symphonique No.4 in D major, Op.102 [2.Scherzo. Presto])&gt;&gt;&gt;(P)レナード・ペナリオ:アーサー・フィードラー指揮 ボストン・ポップス 1963年5月24日録音</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5849</link>
        <description>&lt;h3&gt;ピアニストによるピニストのための音楽&lt;/h3&gt;「アンリ・リトルフ」なんて言う作曲家は全く知りませんでした。いつ頃の人かも想像がつかず、調べてみれば「1818年8月7日 - 1891年8月5日」らしいです。&lt;br /&gt;
イギリスのロンドンで生まれたものの、様々な理由で音楽活動の拠点はフランスだったので、セザール・フランクとほぼ同じ時代の人と言うことになります。ただし、知名度という点では較べるまでもないほどの差があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それは、彼が基本的に作曲家ではなくて演奏家だったからでしょう。&lt;br /&gt;
彼はヴァイオリニストであった父から音楽教育を受け、その後はイグナツ・モシュレスに師事しています。そして、14歳でコヴェント・ガーデンでデビューしていますから、彼もまた早熟の天才の一人だったのでしょう。&lt;br /&gt;
そして、その後はピアニストから指揮活動に転身し作曲活動も行い、出版業でも成功したようです。生きているときはそれなりに知られた存在だったようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、作曲家としては5曲の「交響的協奏曲」くらいしか知られておらず、それもまた演奏される機会はほとんどありません。&lt;br /&gt;
その中で、ごく稀に、第4番の第2楽章スケルツォだけが演奏されることガルようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
聞いてみれば、まさにピアニストによるピニストのための音楽で、言ってみればオーケストラ助奏つきのピアノ曲という雰囲気です。&lt;br /&gt;
おそらく、オケストラなしでのピアノ・パートだけでも一つの作品として成り立つのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第1楽章：Allegro con fuoco&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	全体を貫く1つの中心的な主題（アイデア）に基づいており、これを反転・変容させることで、複数のテーマがあるかのような錯覚を聴き手に与えます。&lt;br /&gt;
	ピアノとオーケストラが一体となって響く「交響的」な手法が際立っています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第2楽章：Scherzo&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	この作品で最も有名な楽章です。軽快なリズムと華やかなピアノの超絶技巧が特徴で、ピッコロやトライアングルが効果的に使用され、色彩豊かな響きを生んでいます。&lt;br /&gt;
	アンコール曲としても独立して非常に人気があります。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3楽章：Adagio religioso&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	荘厳で宗教的な雰囲気を持つ緩徐楽章です。前後の急速な楽章とは対照的に、ピアノによる叙情的なカンタービレが展開されます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第4楽章：Finale: Allegro impetuoso&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	第1楽章と同様に、1つの主要なアイデアを変容・展開させながら進みます。&lt;br /&gt;
	ピアノの極めて高い技巧が要求され、オーケストラと激しく火花を散らすような圧倒的なクライマックスで全曲を締めくくります&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;</description>
    </item>
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        <title>リリ・ブーランジェ：詩篇第130篇「深き淵より」(Boulanger:Psaume 130, Du Fond De L'Abime)&gt;&gt;&gt;イーゴリ・マルケヴィチ指揮:ラムルー管弦楽団 エリーザベト・ブラッスール合唱団 (T)ミシェル・セネシャル 1958年録音(Igor Markevitch:Orchestre Des Concerts Lamoureux Elisabeth Brasseur (T)Michel Senechal Recorded on 1958)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5848</link>
        <description>&lt;h3&gt;リリ自身の魂の悲鳴&lt;/h3&gt;リリ・ブーランジェ（Lili Boulanger, 1893年 - 1918年）は、20世紀初頭のフランスを代表する早逝の作曲家です。&lt;br /&gt;
パリの由緒ある音楽一家に生まれ、わずか2歳にして父親の友人であるフォーレにたぐい稀なる才能を見出されたと言われています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、生まれつき虚弱体質だったために生涯を通じて激しい腹痛や高熱に悩まされ、正規の学校に通うことが困難でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
リリにとって姉ナディアの存在はかけがえのないものでした。&lt;br /&gt;
リリはわずか5歳頃から、姉ナディアの音楽院での授業に付き添い、横で静かに聴き入っていました。&lt;br /&gt;
体調が悪くて動けない時は教授を自宅に招き、さらにはナディアが学んできた内容をリリに教えました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
姉ナディアは後に「鉄の女」と呼ばれるほど厳格な教育者となります。&lt;br /&gt;
ナディアはリリの才能を誰よりも信じていたので、病弱な妹を気遣いつつも、音楽的な妥協を一切許さない姿勢でリリの成長を支えました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、16歳になったリリは「作曲家になる」と宣言するに至ります。&lt;br /&gt;
そして、信じがたいことに、わずか数年で、姉ナディアですら果たせなかったローマ大賞を女性として初めて受賞するのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、病はますます重くなり、1918年、わずか24歳にしてこの世を去ります。&lt;br /&gt;
絶筆となった「ピエ・イエズ（慈悲深き主イエスよ）」は、自らペンを持つ力が残っておらず、姉ナディアに口述筆記させて完成させました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ナディアは妹の死を受けて「私の音楽には、リリのような真の独創性がない」と語り作曲活動をやめてしまいます。&lt;br /&gt;
そして、ナディアは92歳まで生き、20世紀最高の音楽教師としてアーロン・コープランド、ヴァージル・トンプソン、ロイ・ハリス、レナード・バーンスタイン、ミシェル・ルグラン、アストル・ピアソラ、フィリップ・グラス、クインシー・ジョーンズら（数え上げればきりがない）数多くの巨匠を育てました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ナディアが真に情熱を注ぎ続けたのは妹リリの作品を世に広めることでした。&lt;br /&gt;
彼女の教え子たちにリリのスコアを分析させ、その才能を伝え続けました。&lt;br /&gt;
毎年3月のリリの命日には追悼ミサを行い、終生リリの写真を大切に飾っていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
リリの繊細な音楽が今も高く評価されているのは姉ナディアの献身的な愛情と普及活動があったからこそと言えます&lt;br /&gt;
リリ・ブーランジェと姉ナディアは、音楽史上でも稀に見るほど深い絆で結ばれた姉妹だったと言えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;リリ・ブーランジェ：詩篇第130篇「深き淵より」&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
旧約聖書の詩篇第130篇、ラテン語の冒頭句から「深き淵より）」として知られるテキストに基づいています。&lt;br /&gt;
詩篇第130篇は罪の深さに絶望しながらも、神の慈悲を待ち望むというプロセスを描いています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
テキストの内容を大まかに要約すると&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;嘆き「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。私の声を聞き取ってください。」&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;告白「もしあなたが罪をすべて数え上げられるなら、誰が耐えられましょうか。」&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;希望「私の魂は主を待ち望みます。夜明けを待つ門番が朝を待つよりも切実に。」&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;救済「イスラエルよ、主を待ち望め。主には豊かな贖いがあるのだから。」&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
のようになります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慢性的な病に苦しんでいたリリは、1914年から1917年にかけてこの曲を執筆しました。自身の死を間近に感じていた彼女にとって、この「深き淵からの叫び」は単なる聖書の引用ではなく、彼女自身の魂の悲鳴でもありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
曲の冒頭、チェロやコントラバス、ファゴットなどの低音楽器が、文字通り「地の底」を這うような重苦しい旋律を奏でます。&lt;br /&gt;
そして、静寂に満ちた絶望から、神への救いを求める咆哮のような爆発的な盛り上がりまで、感情の振幅が非常に激しいのが特徴です。&lt;br /&gt;
印象派のような繊細な色彩感と、ストラヴィンスキーを彷彿とさせる荒々しい不協和音が同居しており、当時のフランス音楽の中でも極めて独創的です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「彼女の音楽には、もはやこの世のものではないような、透き通った激しさと静寂がある」**としばしば評されます。</description>
    </item>
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        <title>ベートーベン：ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調 作品106「ハンマークラヴィーア」(Beethoven:Sonate No.29 En Mi Bemol Majeur Op.106 &quot;Hammerklavier&quot;)&gt;&gt;&gt;(P)ハンス・リヒター＝ハーザー 1960年7月15日~19日録音(Hans Richter-Haaser:Recorded on July 15-19, 1960 )</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5847</link>
        <description>&lt;h3&gt;30年にわたって取り組んできた音楽体験の全てを統合しようとしたソナタ&lt;/h3&gt;とんでもなくザックリとした切り分け方なのですが、ベートーベンのピアノ・ソナタ創作の軌跡を眺めてみるならば、それは概ね3つの時期に分かれるように見えます。&lt;br /&gt;
まず最初の時期は、ハイドンやモーツァルトと言う先人達の18世紀的ソナタから多くのことを学び、それを自らの血肉としていった時期です。それは言葉をかえれば「古典的均衡」の時期とも言えるのですが、それでも、そう言う初期の時代からでもそこに人間的感情の発露を表現しようとする意志が垣間見られました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ナンバリングで言えば、8番「悲愴」において中間のまとめを行い、14番「月光」と15番「田園」において総仕上げを行ったと言えるでしょうか。&lt;br /&gt;
ベートーベンのキャリアと重ね合わせてみるならば、そう言う一連のソナタにおいて新進気鋭の人気ピアニストとしての地位を築き上げていった時代でもありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、それに続くのが、その様な18世紀的な「古典的均衡」から抜け出して、人間的感情という行方しれぬものを表現しようとする「新しい道」への時代でした。&lt;br /&gt;
しかし、ここで注意が必要なのは、ベートーベンというのはその様な新しい表現を実現するために伝統を破壊したと言われることについてです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「革命＝破壊」というのは分かりやすい図式ではあるのですが、目の前にある現実の上に立脚しない限り新しい価値観というのは現実の力を持つことは出来ないものです。&lt;br /&gt;
つまりは、破壊だけでは何も新しいものは生み出せず、破壊の後の建設は古い切り株の上でしか芽吹かないのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ベートーベンが模索した「新しい道」を支えたのも「伝統の破壊」だけではなくて、まさに彼がそこに至るまでに身につけた「18世紀的伝統」という古い切り株だったことは正確に見ておく必要があります。&lt;br /&gt;
ですから、ベートーベンは新しい一歩を踏み出すと必ず後戻り、もしくは収縮をすることによって、その新しい一歩と過去の伝統との間で折り合いをつけようとします。&lt;br /&gt;
この「新しい道」においても行きつ戻りつを繰り返しながら、それでもナンバリングで言えば17番「テンペスト」から21番「ワルトシュタイン」、そして23番「アパショナータ」へと駆け上がっていきます。&lt;br /&gt;
そして、この「新しい道」が「アパショナータ」によって行き着くところまで行き着いたように見えながらも、その後にそれを確かめるように「テレーゼソナタ」や「告別ソナタ」によって収縮してしまうのがベートーベンなのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしながら、この収縮によっても、それに続く全く新しい方向性を見いだすことが出来なかったことは事実です。&lt;br /&gt;
告別ソナタを1810年に完成させた後に、ポツンと1814年に27番とナンバリングされたホ短調のソナタを作曲するのですが、それは次の方向性を模索する作品ではありませんでした。&lt;br /&gt;
彼が本当に最後の試みにチャレンジするようになるのは、その2年後に作曲された作品101のソナタ（28番）においてでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この作品101のソナタは、その傍らに「ハンマークラヴィーアソナタ」がたたずんでいるので過小評価されることが多いのですが、彼の創作の軌跡を辿ってみるならば、それこそが「深くて高い」と言われる後期の世界、つまりは第3の時期への入り口となったチャレンジでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中期のベートーベンが目指したのは、行方もしれずとらえどころもない「人間的感情」というものを、「デュナーミクの拡大」という手法によって、それが持つ「たぎるような力の発現」として表現してみせることでした。&lt;br /&gt;
しかし、作品101のソナタではその様な力の発現は影をひそめて、その代わりに、人間の内面を描き出すための繊細な手法を模索しはじめているのです。&lt;br /&gt;
そして、その模索は最後の3つのソナタへと結実していくことはここで指摘するまでもないことです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その様にとらえてみると、この「ハンマークラヴィーアソナタ」は作品101のソナタで新しい一歩を踏み出したベートーベンが、その踏み出した一歩を確かめるための収縮だったと言うことになります。&lt;br /&gt;
もちろん、こんな事を書くと、「おい、おい、この巨大なソナタを前にして収縮だなんて、お前は気は確かか！」と言われそうなのですが、おそらく、ここのところの捉え方がこの作品を理解する上できわめて重要なポイントだと思われます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一般的にこのソナタは、それまでに例をみないほどの巨大さを持っているので、ベートーベンの32のピアノソナタの中でも記念碑的な音楽だと思われてきました。&lt;br /&gt;
そして、多くのピアニスト達も、この作品が持っている技術的困難を克服しながら、記念碑的作品に相応しい演奏を追求してきていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、この作品の構造をじっくりと眺めてみると、特異な要素が少なく、作品101のソナタと較べればはるかに伝統に則した内容になっているとローゼン先生は述べています。&lt;br /&gt;
そして、スランプと言われた時期においてもベートーベンは様々な形式の問題に取り組んでいたのであり、この巨大なソナタにおいて、彼が30年にわたって取り組んできた音楽体験の全てを統合しようとしていると指摘しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば、このソナタは、ベートーベンによってメトロノームによるテンポ設定が為されている唯一のピアノソナタ作品なのですが、その指定によれば第1楽章は「Allegro」で「二分音符 = 138」という数値が指定されています。&lt;br /&gt;
交響曲においても同様なのですが、ベートーベンがメトロノーム指定した数値はどれもこれもがかなり速いのですが、これもまたこの作品を記念碑的なソナタにするにしては「速すぎる」数値指定なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん、このような数値指定に感情を込めることは出来ないので、その指定は最初の数小節にのみ有効だとベートーベン自身も語っているのですが、それでも彼がこの第1楽章をかなり速めのテンポで演奏することを望んでいたことは事実です。&lt;br /&gt;
しかしながら、その様な速いテンポはこの「記念碑的」な性格を持つソナタには相応しくないというので、それよりはゆっくりめに演奏されるのが「伝統」となっています。&lt;br /&gt;
ワインガルトナーは「80!!」、ハンス・フォン・ビューローは「112」、モシュレスは「116」、スコダは「120~126」と言う数値を提案していたようです。もっとあからさまに、「138」という指示はベートーベンのミスだとして否定して、「オレはオレの道を往く」事を公言する人も少なくありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確かに、その様な遅いテンポでこのソナタの演奏をはじめれば、この第1楽章は記念碑的なソナタに相応しい壮大な性格を持つようになります。&lt;br /&gt;
しかし、ベートーベンは出版社宛の手紙の中で「Allegroのみでassaiを消してほしい」と書き、「138」という数値を指定しているので、それは当時の常識に従えばモーツァルトのソナタにおけるAllergoと同じようなテンポを想定していたことになります。&lt;br /&gt;
そして、その様な速いテンポでこの楽章を演奏すれば、それは記念碑的な壮大さよりは中期のソナタに通ずるエネルギーの爆発が前面に出てきます。そう考えれば、このソナタにおいて、ベートーベンはいつものように、作品101で踏み出した一歩をもう一度過去に戻って確かめているように聞こえるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、その様な姿勢はこれに続く第2楽章のスケルツォを見ればよりはっきりとします。この楽章は、きわめて真っ当なメヌエットの形式で書かれていることは明らかであり、ローゼン先生によれはこれまでのどのソナタにもあらわれるメヌエットやスケルツォよりも何の変哲もないスタイルになっているからです。&lt;br /&gt;
つまりは、ここでベートーベンは18世紀的な伝統に厳格に従いながら、その伝統の中で次の新しいステップにおいて大きな力となるものが何なのかを吟味しているのです。&lt;br /&gt;
ちなみに、この楽章に指示したベートーベンの数値は「二分音符 = 80」となっていて、これもまた多くのピアニストを戸惑わせるのに十分なほどの速さです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、第3楽章のAdagio sostenutoで注目すべきは、出版譜の校正段階で追加された第1小節です。&lt;br /&gt;
この追加された小節はくぐもった響きであり、それに続く小節においても感情が極度に抑制されています。にもかかわらず、ベートーベンが与えたメトロノーム指定は「8分音符 = 92」という、これまたかなり速いものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確かに、今日のコンサート会場においてこのテンポで感情を抑制して演奏するというのはかなり不都合なように思われるのですが、小さな集まりで囁くように演奏することが出来るならば、それはかなり感動的な場面になります。おそらく、多くの人がこの楽章に捧げた讃辞、「全世界のすべての苦悩の霊廟」であるとか「人が魂の最も深い所から出てくる何か特別の訴えには、囁きにまで声を落とす」などと言う言葉は、その様な親密な場における親密な演奏においてのみ実現できるのかもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それは、これに続く巨大な終楽章と並び立つときに何とも言えず不思議な組み合わせになるのですが、それは、この時点においてベートーベン自身がこの作品がどのようにして演奏されるのかと言うことはほとんど頭の中には去来していなかったことの証左になるのかもしれません。&lt;br /&gt;
確かに、そう考えれば、このソナタを締めくくる最後のLargoとfugaが、とんでもない混乱の中から一つの秩序を探り当てようとするような音楽であり、それ故にそれが演奏者に対してどれほどの困難を強いるものかを全く考慮していないことにも分かるような気がするのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、終楽章はそう言う混乱の中を彷徨うに見えながら、導入のLargoはローゼン先生によれば対位法の誕生であり、それに続くfugaはロンド形式に一連の変奏を結びつけた形式であり、それらはともに終楽章における伝統的な形式の枠から出るものではない事に気づきます。&lt;br /&gt;
そう言う意味では、彼がどれほど既存の伝統の破壊者のように見えたとしても、その根っこは頑ななまでに18世紀的伝統の上に絡みついているのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、ベートーベンが他の作曲家と較べて飛び抜けて偉大だったのは、その様な18世紀的な伝統を決して安易に放り出さずに、その伝統と自らの新しいチャレンジとの間で希有のバランスをとり続けたことです。&lt;br /&gt;
そう考えてみれば、この巨大なソナタは作品101のソナタという新しい実験を受けての一つの収縮だったと言うのは、それほど突飛な把握の仕方ではないと言えるのです。&lt;br /&gt;
そして、その様にとらえることは、エドウィン・フィッシャーのように「この曲の意味をすっかり汲み尽くすことは誰にでも出来ることではない。そのためには我々はベートーヴェンの全生活を彼と共に遍歴し、 彼の精神の世界創造の働きをみまもらねばならない」みたいに神棚に祭り上げてしまうよりは役に立つと思うのです。</description>
    </item>
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        <title>イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番 ハ短調,Op.27-4(Eugene Ysaye:6 Sonatas for Solo Violin, Op.27-4)&gt;&gt;&gt;(Vn)マイケル・レビン:1955年9月30日録音(Michael Rabin:Recorded on September 17, 1955)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5846</link>
        <description>&lt;h3&gt;バッハから始まる壮大な旅&lt;/h3&gt;イザイの「6つの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ, Op.27」はシゲティがバッハを演奏するのを聴いて深いインスピレーションを受け、わずか24時間以内にこの曲集のスケッチを書き上げたと言われています。&lt;br /&gt;
全曲を通して聴くと、バッハへの回帰から始まり、徐々に近代的な色彩や異国の情緒へと移り変わっていく壮大な旅のような構成になっています。&lt;br /&gt;
この作品の面白いところは、第1番から第6番まで、当時の名だたるヴァイオリニストたちに捧げられている点です。&lt;br /&gt;
それぞれの曲は、献呈された奏者の演奏スタイルや個性を反映した音楽性を持っています。&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第1番 ト短調（献呈：ジョゼフ・シゲティ&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	バッハの「無伴奏ソナタ第1番」と同じト短調で書かれており、全4楽章構成もバッハを意識しています。非常に厳格で知的な構造と重音の扱いが極めて巧みです。&lt;br /&gt;
	とりわけ、第2楽章「フーガ」はヴァイオリン一本で複雑な声部を編み上げる、精神性の高い楽章です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第2番 イ短調（献呈：ジャック・ティボー）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	全6曲の中で最もドラマチックな一曲です。バッハの無伴奏パルティータ第3番「プレリュード」の断片と、グレゴリオ聖歌の「怒りの日（Dies Irae）」の旋律が全編にわたって衝突・融合します。&lt;br /&gt;
	第1楽章「妄執（Obsession）」はバッハの美しい旋律を弾こうとしても、死の影（怒りの日）が執拗に追いかけてくるようなスリリングな展開です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3番 ニ短調「バラード」（献呈：ジョルジュ・エネスク）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	全曲の中で最も人気が高く、演奏頻度も圧倒的な単一楽章の傑作です。ルーマニアの名ヴァイオリニストで作曲家のエネスクに相応しく、即興的で情熱的、かつ幻想的な雰囲気を持っています。&lt;br /&gt;
	静かな導入部から、中間部の激しい重音の連打、そして圧倒的なフィナーレへと向かう感情の高ぶりが見事です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第4番 ホ短調（献呈：フリッツ・クライスラー）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	ウィーンの巨匠クライスラーの優雅さと、古風な様式美を讃えた作品です。「アルマンド」「サラバンド」「リゴドン」というバロック時代の舞曲形式を採用しています。&lt;br /&gt;
	第2楽章「サラバンド」はピッツィカートとアルコが交互に現れる、クライスラーらしいチャーミングで気品ある響きが特徴的です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第5番 ト長調（献呈：マチュー・クリックボーム）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	イザイの愛弟子に捧げられたこの曲は、他の曲に比べて非常に独創的で印象派的な響きがします。&lt;br /&gt;
	第1楽章「オーロラ」は、夜明けの光が少しずつ広がっていくような神秘的な響きです。第2楽章「田舎の踊り」は一転して、村の祭りを楽しむような素朴で力強いリズムが特徴的です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第6番 ホ長調（献呈：マヌエル・キロガ&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	スペインのヴィルトゥオーゾ、キロガのために書かれた、技巧の限界に挑む終曲です。スペイン風のリズム（ハバネラ）や、情熱的な旋律が随所に散りばめられています。&lt;br /&gt;
	息をもつかせぬ超絶技巧の連続であり、キロガ本人は事故で演奏活動を断念したため、この曲を公開演奏することはありませんでしたが、イザイが彼に求めた驚異的なテクニックが譜面に刻まれています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;第4番 ホ短調（全3楽章）&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
クライスラーの優雅なイメージを「古風な舞曲」に投影しています。&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;Allemanda（アルマンド）: 重厚な足取りの中に、ウィーン風の気品を感じさせる楽章。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;Sarabande（サラバンド）: 前述の通り、ピッツィカートとアルコ（弓）の対比が魔法のように美しい、静かな聴きどころです。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;Finale; Presto ma non troppo（フィナーレ）: 軽快で華やかな「リゴドン」風の終曲。クライスラーの小品を彷彿とさせます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;</description>
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