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        <title>ハイドン:弦楽四重奏曲第66番 ト長調, Op.64, No.4, Hob.3:66(Haydn:String Quartet in G major, Op.64, No.4, Hob.3:66)&gt;&gt;&gt;プロ・アルテ弦楽四重奏団:1937年11月16日録音(Pro Arte String Quartet:Recorded on November 16, 1937)</title>
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        <description>&lt;h3&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第66番 ト長調, Op.64, No.4, Hob.3:66(Haydn:String Quartet in G major, Op.64, No.4, Hob.3:66)&lt;/h3&gt;&lt;h4&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲「第2トスト四重奏曲」, Op.64&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
作品64の「第2トスト四重奏曲」には、トストからの依頼があったという記録は残っていません。&lt;br /&gt;
ヨハン・トストというのはずいぶんと面白い人物だったようで、ヴァイオリンを演奏しながら実業家としても活動していて、軍需品の政府納入によって財をなしたようです。そして、ボヘミアなどに織物工場を形成して成功を収めます。そして、エステルハージ家の家事管理人だった「マドモワゼル・ナネッテ」と結婚をします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみにマドモワゼル・ナネッテは、侯爵夫人が亡くなった後に家事全般を取り仕切った女性で、ハイドンは彼女のことを「女主人」と読んでいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「第2トスト四重奏曲」はそんなトストとマドモワゼル・ナネッテが結婚した年に作曲されています。&lt;br /&gt;
その結婚に際して彼らがハイドンに作曲を依頼したという記録は残っていないのですが、この曲集にはトストが限定的なものながら権利を持っていました。&lt;br /&gt;
おそらく、マドモワゼル・ナネッテからの何らかの依頼があったものだと考えられます、と、いうことでこの曲集もまた「トスト四重奏曲」と呼ばれるようになったよりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なおこの曲集のややこしいのは作品の並び順です。&lt;br /&gt;
ハイドン全集では、曲順はHob.III:65,68,67,66,64,63という並び方を採用しています。&lt;br /&gt;
初版はハイドンの許諾も得て「ヨハン・トスト氏に献呈 作品65」として出版されていて、Hob.III:65,68,67,66,63,64という順番だったようです。&lt;br /&gt;
それでは、Hob.III:63,64,65,66,67,68という並び方は何なのかというと、ザロモン・コンサートでの演奏譜に基づいて出版されたプレイエル全集版に基づくものだそうです。&lt;br /&gt;
このあたり、本当にややこしい！！&lt;br /&gt;
ここではハイドン全集に倣っておきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第63番 ニ長調「ひばり」 Op.64-5, Hob.III:63&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	「ひばり」としてよく知られています。冒頭の雲雀の主題は印象的で、明快なメロディが楽しい音楽です。この第1楽章は変則的なソナタ形式となっています。アダージョ楽章とフィナーレは三部形式でメヌエットは第3楽章におかれています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第64番 変ホ長調 Op.64-6, Hob.III:64&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	第1楽章はソナタ形式で、展開部では対位法的な書法が特徴的です。第2楽章は表情豊かな短調の世界が展開されます。メヌエットは第3楽章におかれトリオを二つ持ちます。&lt;br /&gt;
	フィナーレはハイドンにとっては定型とも言うべきプレスト・ロンドで、どこかオーケストラ的な響きになっています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第65番 ハ長調 Op.64-1, Hob.III:65&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	両端楽章がソナタ形式で、緩徐楽章が第3楽章におかれています。この緩徐楽章は変奏曲形式で美しく魅力的です。第2楽章はメヌエット楽章です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第66番 ト長調 Op.64-4, Hob.III:66&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	第1楽章はソナタ形式で、第2主題が属短調で開始されるのは初期の手法を思い出させます。第2楽章はメヌエット楽章で、第3楽章のアダージョは三部形式で美しい楽章です。&lt;br /&gt;
	終楽章はノットゥルノ第7番を思い出させるジーグ楽章に基づくソナタ形式です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第67番 変ロ長調 Op.64-3, Hob.III:67&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	両端楽章はソナタ形式で、とりわけ第1楽章は多様な楽想を持っています。第2楽章はアダージョ楽章で三部形式と変奏曲形式が混合したような形式です。第3楽章のメヌエットはリズム的な対比が特徴的です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第68番 ロ短調 Op.64-2, Hob.III:68&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	第1楽章はかなり自由な構成によるソナタ形式で、終楽章は舞曲的な雰囲気が支配的なソナタ形式です。第2楽章のアダージョは2主題による変奏曲形式となっています。&lt;br /&gt;
	第3楽章のメヌエットはリズム感の鋭いモティーフを軸として構成されています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;弦楽四重奏曲の道&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
貴族の館において「音楽」というものは部屋の装飾のようなものであったようです。言うまでもなく、何の装飾も施されていない殺風景な部屋に賓客を招くなどと言うことがあり得ないことです。ですから、賓客を招く場に音楽もまた必要不可欠のものでした。&lt;br /&gt;
しかし、装飾はあくまでも装飾であって、あまり自己主張をして表にしゃしゃり出てこられては困ります。ですから、そう言う時代における音楽は基本的に「ディヴェルティメント」だったといえます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ここで一つ問題が発生します。&lt;br /&gt;
部屋の装飾は貧弱なものよりはある程度の豪華さがあった方が見栄えが良いように、音楽もまたある程度の華やかさがあった方が良いと言うことになります。つまりはある程度の楽団員を常に雇用していて自前の管弦楽団を持っている方が良いと言うことになります。&lt;br /&gt;
しかし、それはある程度の領地を持っていてそれなりの収入が確保できる上級貴族ならば可能であっても、そこまでの領地を持たない中小の貴族にとってはそう言う楽団を保持し、維持することは不可能でした。&lt;br /&gt;
もちろん、特別に重要な式典などであれば臨時に管弦楽団を編成することもあったでしょうが、それを日常的に維持していけるのは、後のハイドンの雇い主になるエステルハージ侯のような一握りの大貴族に限られていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで、そう言う問題を解決するために、少人数の演奏家でも演奏が可能な「室内楽」というものへの需要が発生します。しかしながら、現在では室内楽と言えば「弦楽四重奏曲」に代表されるようないささか取っつきにくい小難しい音楽を想像してしまうのですが、この時代における「室内楽」もまた「シンプルであっても上品な部屋の装飾」という役割が期待されていましたから、それもまた基本的には「ディヴェルティメント」でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、管弦楽の場合で言えば、その後様々な紆余曲折を経て最後は「交響曲」という王道に辿り着くのですが、室内楽もまた最後は「弦楽四重奏曲」という王道に辿り着くことになります。そして、この二つの王道の頂点を極めたのがベートーベンであったことに異論を唱える人はいないと思うのですが、当然の事ながらその偉業はベートーベン一人で成し遂げたものではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
交響曲というジャンルで言えばその前にハイドンによる長い開拓の歴史がありました。そして、その事は多くの人に認知されていて、ハイドンには「交響曲の父」という尊称が奉られています。&lt;br /&gt;
「弦楽四重奏曲」に関してもハイドンの貢献を否定する人はいないでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしながら、ハイドンがたどった交響曲や弦楽四重奏曲の道程を実際に自分の耳で実感することはそれほどたやすくはありません。確かに、ハイドンが残した交響曲や弦楽四重奏曲は単独で聞いても素晴らしい作品が目白押しです。しかし、それらの作品の真価もまた彼がたどった長い道程を俯瞰して、その全体像の中に位置づけられてこそより深くその真価がわかるものです。&lt;br /&gt;
私はそのことをゴバーマンによる交響曲の全曲録音を目指したチャレンジに接することで身に染みて思い知らされました。その試みはゴバーマンの突然の死によって未完に終わったのですが、それでも彼が残した数多くの録音によってハイドンがたどった交響曲の道の全体像が少しは見えてくるようになったからです。&lt;br /&gt;
つまりは、ハイドンの交響曲というのは個々の作品への評価も重要なのですが、真に評価すべきはその総体としての「交響曲の道」なのです。&lt;br /&gt;
そして、そのことは弦楽四重奏曲においても同様なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
おそらく、ハイドンの初期や中期の弦楽四重奏曲を次々と聞かされればうんざりする人もいるでしょう。しかし、それを我慢して聞き続けてくれることでハイドンの「弦楽四重奏曲の道」が少しずつ見えてきたならば、そういう初期・中期作品の魅力を感じ取っていただけるでしょう。そして、彼の業績はそういう一つの様式にチャレンジし続けた総体としてとらえてこそ、ハイドンの姿が本当に理解できるのではないかと思うのです。</description>
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        <title>ベｰトｰベン:リギーニのアリエッタ「恋人よ来たれ」による24の変奏曲 WoO 65(Beethoven:24 Variations on Righini's Arietta Venni amore, WoO 65)&gt;&gt;&gt;(P)アルフレッド・ブレンデル 1958年&amp;1960年録音(Alfred Brendel:Recorded on 1958 &amp; 1960)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5892</link>
        <description>&lt;h3&gt;ベートーベンのピアノ変奏曲&lt;/h3&gt;ベートーベンは若い頃を中心に数多くの「ピアノのための変奏曲」を作曲しているのですが、その後も折に触れてこの形式によるピアノ曲を残しています。その中でも、とりわけ重要であり、しかしながら最後まで聞き通すにはかなりの忍耐を強いられるのが「ディアベリ変奏曲」でしょう。&lt;br /&gt;
しかしながら、あれはベートーベンの「ピアノのための変奏曲」の中においてみればモンスター的に異形なる存在であって、その大部分は当時の聴衆に人気のあったオペラなどの一節をテーマにしたものが大部分でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「変奏」とは一般的には「ある旋律のリズム、拍子、旋律、調子、和声などを変えたり、さまざまな装飾を付けるなどして変化を付けること」とされています。しかし、ベートーベンの「変奏曲」というジャンルにおける探求を跡づけていくと、「変化をつける」などと言う範疇に留まらないことに気づかされます。&lt;br /&gt;
いや、確かに最初は、オペラなどから拝借した旋律を面白おかしく変化させて聴く人の耳を楽しませる所からスタートしています。しかしながら、その到達点である「ディアベリ変奏曲」を聴くとき、そこには面白おかしく変化をつけて聴く人の耳を楽しませるなどという姿勢は吹き飛んでいます。&lt;br /&gt;
それでは、そこでベートーベンは何をしようとしたのかといえば、それは主題が内包する可能性を徹底的に汲み尽くすことでした。&lt;br /&gt;
よく知られているように、ディアベリによって示された「テーマ」は実に単純で陳腐なもののように見えました。しかしながら、外面的には「陳腐で単純」に見えたテーマの中に豊かな可能性をかぎつけたのがベートーベンの天才でした。&lt;br /&gt;
そのテーマが単純であるがゆえに、それを様々な音楽的スタイルの中においてみることが可能であり、そのスタイルによってはディアベリのテーマはほとんど姿を消しているように見えながらも、それもまた主題の可能性を最大限に追求した結果であるような音楽になっているのです。&lt;br /&gt;
そして、その最後の到達点と若い頃の作品を並べてみれば、ベートーベンという音楽家がその生涯においてどれほど長い距離を歩いたかが分かるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ベートーベンにとって「ピアノ・ソナタ」という形式は常に実験の場であったのですが、「ピアノのための変奏曲」はそれ以上に実験的な場だったのかも知れません。そして、その実験的性格ゆえに、例えば「ハ短調変奏曲」と呼ばれることもある中期の作品などには作品番号を与えなかったのかも知れません。&lt;br /&gt;
そう考えれば、ベートーベンのこのジャンルにおける歩みを辿ってみることも意味あることなのかも知れません。&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;ベｰトｰベン:リギーニのアリエッタ「恋人よ来たれ」による24の変奏曲 WoO 65&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
ベートーヴェンの初期ピアノ作品の中でも最大級の規模と難易度を誇る傑作です。&lt;br /&gt;
当時、ボンの宮廷音楽家だった青年ベートーヴェンが、自らの卓越したピアノ奏法を世に知らしめるために書いた「名刺代わり」の一曲とも言えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主題となったのは、当時ヨーロッパ全土で人気のあったイタリアの作曲家ヴィンチェンツォ・リギーニのアリエッタ「恋人よ来たれ（Venni amore）」です。&lt;br /&gt;
非常に優雅で軽快な、典型的なイタリア風の旋律です。&lt;br /&gt;
ベートーヴェンはこの単純な主題を使い、それまでの変奏曲の概念を打ち破るような、極めて技巧的でシンフォニックな展開を見せました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「24」という変奏の数は、当時の基準からしても異例の多さです。全曲を通して演奏すると20分近くかかり、初期作品とは思えないほどの重厚感があります。最後の変奏は非常に長く、単なる変奏の枠を超えて、即興的なファンタジーや壮大な終結部（コーダ）へと発展します。&lt;br /&gt;
また、重音、素早いアルペジオ、跳躍、交差など、当時のピアノ演奏の限界に挑むようなパッセージが連続します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曲には有名な逸話があります。&lt;br /&gt;
1791年、ベートーヴェンは当時の名ピアニスト、アボ・ステルケルと出会います。&lt;br /&gt;
ステルケルは「この変奏曲は難しすぎて、作曲者本人でも弾けないのではないか」と疑いました。それに対し、ベートーヴェンは涼しい顔でこの難曲を即興的な装飾を交えながら完璧に弾きこなし、聴衆を驚愕させたと言われています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この作品は、後に書かれる「ディアベリ変奏曲」や「エロイカ変奏曲」へと繋がる、ベートーヴェンの「変奏技法の実験場」としての側面を持っています。&lt;br /&gt;
単なる主題の装飾に留まらず、主題の骨組みを解体し、全く新しい性格へと変貌させる「性格変奏」の萌芽が強く感じられます。</description>
    </item>
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        <title>ボッケリーニ:チェロ・ソナタ第1番 イ長調, G.13(Boccherini:Cello Sonata No. 1 in A Major, G. 13)&gt;&gt;&gt;(Cell)エンリコ・マイナルディ:(P)カルロ・ゼッキ 1952年録音(Enrico Mainardi:(P)Carlo Zecchi Recorded on 1952)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5891</link>
        <description>&lt;h3&gt;伴奏楽器から主役へ&lt;/h3&gt;ルイジ・ボッケリーニのチェロソナタは、チェロという楽器を「伴奏楽器から主役への完全な脱皮」を果たしたともいえる重要な作品です。&lt;br /&gt;
ボッケリーニは通奏低音を支えるだけの楽器だったチェロを、ヴァイオリンに匹敵する高音域での旋律演奏を要求して主役になりうるポジションを与えました。さらに、素早いパッセージや重音奏法、そして独自の美しいフラジオレットなど、当時のチェロの限界に挑むような超絶技巧を盛り込んでいきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自らがチェロのヴィルトゥオーゾだったボッケリーニは30曲を超えるチェロ・ソナタを通して、わき役から主役への道を切り開いていったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;チェロ・ソナタ第1番 イ長調 G. 13&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
このイ長調のソナタ G.13はボッケリーニの代表作である「チェロ協奏曲 イ長調 G.475」との密接な関係にあります。&lt;br /&gt;
ソナタ G.13の第1楽章の主題や主要な楽想が、協奏曲 G.475の第1楽章にそのまま流用されているのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ボッケリーニはこのイ長調のメロディとチェロの響きのマッチングを非常に気に入っていたため、大舞台用の協奏曲へと昇華させたと考えられています。&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第1楽章：Allegro&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	チェロの開放弦の響きを活かした、明るく開放的なイ長調のアルペジオ（分散和音）で始まります。&lt;br /&gt;
	聴き進めると「チェロ協奏曲イ長調」のあのドラマチックで華やかな旋律がそのまま現れます。&lt;br /&gt;
	独奏チェロがまるで一人でオーケストラと渡り合っているかのような、スケールの大きな推進力を持った楽章です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第2楽章：Largo&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	一転して、同主調のイ短調へと移ります。ボッケリーニの短調の緩端楽章の中でも、屈指の美しさを誇る瞑想的な楽章です。&lt;br /&gt;
	ため息をつくような切ないメロディが、細やかな装飾音で飾られながら紡がれます。&lt;br /&gt;
	技巧を誇示するのではなく、楽器を極限まで「歌わせる」ボッケリーニの抒情性が際立っています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3楽章：Minuetto / Allegro&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	一見、優雅な宮廷舞踏会を思わせるメヌエットのステップで始まりますが、そこはボッケリーニ、単なるお上品なダンスでは終わりません。&lt;br /&gt;
	メヌエットのテーマが繰り返される中で、主奏チェロには非常に素早い16分音符のパッセージや、目の覚めるような高音域への跳躍が次々と課され、華々しくもエレガントに全曲を締めくくります。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;</description>
    </item>
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        <title>ベートーベン：ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 「大公」 Op.97(Beethoven:Piano Trio No.7, Op.97 in B-flat major &quot;Archduke&quot;)&gt;&gt;&gt;(Vn)ダヴィド・オイストラフ (P)レフ・オボーリン (Cello)スヴィヤトスラフ・クヌシェヴィツキー 1958年5月9日~10日&amp;12日録音((Vn)David Oistrakh:(P)Lev Oborin (Cello)Sviatoslav Knushevitsky Recorded on May 9-10&amp;12, 1958)</title>
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        <description>&lt;h3&gt;謎の多い作品&lt;/h3&gt;交響曲の分野で言えばそれは疑いもなく「エロイカ」です。当時の人々は、あんなにも素晴らしい交響曲（第1番・2番）を書いた男がどうしてこんなわけの分からない音楽を書いたのだと訝しく思ったと伝えられています。&lt;br /&gt;
そして、その後もこのジャンルでは驚くような作品を次々と生み出していきました。その意味でも、交響曲こそはベートーベンにとっての主戦場だったのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事情は室内楽の世界でも同様です。&lt;br /&gt;
弦楽四重奏曲ではそれは「ラズモフスキー」であり、ヴァイオリンソナタならば「クロイツェル」です。&lt;br /&gt;
ピアノソナタならば、「アパショナータ」や「ワルトシュタイン」が上げられるでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、ピアノソナタや弦楽四重奏曲の分野では最晩年にもう一度「爆発」をおこすのです。ただし、その「爆発」は外に向かってではなく己の内部に向かって光を投げかけたのでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、ピアノ三重奏曲の分野ではそれは疑いもなく「大公」でした。&lt;br /&gt;
そして、このジャンルほど、爆発以前と以後との落差が大きなジャンルはなかったように思います。&lt;br /&gt;
それ以外のジャンルでは、どこか次の爆発を予感させる「予兆」みたいな者がありましたが、このピアノ・トリオにおいてはそれは突然やってきたのです。&lt;br /&gt;
そして、そうであったからこそかもしれませんが、この爆発は勇壮なる打ち上げ花火のように夜空を彩りながら、後には幽かな余韻しか残さずに、彼はこのジャンルから去ってしまうのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういう事情があるからでしょうか、この作品は少しばかり謎めいています。&lt;br /&gt;
「大公」というあだ名は、これがルドルフ大公に献呈されたことに由来します。そして、献呈されたルドルフ大公はこの作品に深く感動したと伝えられています。しかし、それは当然のことであって、この作品はピアノ三重奏曲という狭いジャンルだけでなく、室内楽作品全体を見回しても屈指の名作であることは疑いがないからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作品冒頭のピアノで歌いだされる雄大なテーマが聞き手の心をがっちりととらえます。そして、何よりも魅力的なのはアンダンテ・カンタービレと指定された第3楽章の美しさです。これを聞いて深く感動しない人がいるならば、その事の方が不思議です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、そのように優れた作品でありながら、公式の初演は作品完成後の3年後なのです。ちなみに、この演奏会ではピアノを作曲者自身が担当しているのですが、ベートーベンがピアニストとして公開演奏を行った最後となったものです。さらに、出版はその2年後の1816年にまでずれ込んでいるのです。&lt;br /&gt;
この「遅さ」は他の作品と比べると異例とも言えるもので、作品の素晴らしさを考え合わせると、実に不思議な気がします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まあ、これはもう全くの想像の域を出ませんが、もしかしたら献呈を受けたルドルフが、その素晴らしさ故に独り占めをしたかったのかもしれません。もちろん、そんなことを示す資料は何一つ残っていないので全くの妄想の域を出ませんが・・・。&lt;br /&gt;
しかし、そう言う妄想を逞しくしたくなるほどに、素晴らしい作品だということです。</description>
    </item>
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        <title>フランツ・シュミット:ピアノ五重奏曲(Schmidt:Piano Quintet in G major)&gt;&gt;&gt;バリリ四重奏団:(P)イエルク・デムス 1952年録音(Barylli Quartet:(P)Jorg Demus Recorded on 1952)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5889</link>
        <description>&lt;h3&gt;左手ピアノのための音楽&lt;/h3&gt;フランツ・シュミットはオーストリアの後期ロマン派を代表する作曲で、ブラームスやブルックナーの流れを汲む保守的な美学を追求しつつ、独自の抒情性と構成力を備えた人物でした。&lt;br /&gt;
ウィーン・フィルのチェリストとしてマーラーの指揮下で演奏していた経験もあり、ウィーン音楽界の重鎮として活躍しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同時代に活動していたシェーンベルクらが無調音楽へと向かう中、シュミットは頑なに「調性」を維持しました。&lt;br /&gt;
また、第一次世界大戦で右腕を失ったピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタイン（哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの兄）との関係も見逃せません。&lt;br /&gt;
シュミットが遺した主要なピアノ五重奏曲は2曲あり、いずれも「左手ピアノ、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ」という編成で書かれています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ピアノ五重奏曲 ト長調 (1926年)&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	ヴィトゲンシュタインの委嘱により書かれた最初の五重奏曲です。&lt;br /&gt;
	ブラームスの伝統を感じさせる古典的な4楽章構成ですが、シュミット特有の流麗な転調と、どこか懐かしさを覚えるウィーン風の抒情性が横溢しています。&lt;br /&gt;
	第3楽章のスケルツォに見られる軽やかなリズムと、終楽章の瑞々しい躍動感です。左手だけとは思えないほどの音の厚みと、弦楽器との親密な対話が楽しめます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ピアノ五重奏曲 変ロ長調 (1932年)&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	シュミットが円熟期に差し掛かった頃の作品で、より深い内省と複雑な美しさを湛えています。&lt;br /&gt;
	ト長調に比べて、より半音階的な動きが強まり、シュミット独自の「浮遊するような響き」が際立ちます。&lt;br /&gt;
	5つの楽章からなり、中心に置かれた緩徐楽章の深い精神性は、後の交響曲第4番にも通じるものがあります。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;ピアノ五重奏曲 ト長調&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
ブラームスの伝統を受け継ぐ「堅牢な構造」と、シュミット独自の「浮遊するような転調」が最も幸福な形で融合した傑作です。&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第1楽章：Allegro con fuoco（ト長調&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	「火のように、快活に」と指示された、力強くも優雅なソナタ形式の楽章です。&lt;br /&gt;
	冒頭、ピアノと弦楽器が一体となって提示する第1主題は、上行するアルペジオを基調とした非常にポジティブなエネルギーに満ちています。&lt;br /&gt;
	左手ピアノ（オリジナル版）であることを感じさせないほど、音域が広く使われています。&lt;br /&gt;
	特に低音の力強い支えが、曲全体にシンフォニックな厚みを与えています。シュミット特有の、絶え間なく移り変わる色彩的なハーモニーが特徴です。&lt;br /&gt;
	ト長調という明るい調性にありながら、時折見せる翳りがウィーン的な哀愁を感じさせます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第2楽章：Adagio（変ホ長調）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	この五重奏曲の精神的な中心であり、「祈り」のような静謐さに満ちた緩徐楽章です。&lt;br /&gt;
	弦楽器が奏でる長い息のメロディは、どこかブルックナーのアダージョを思わせる崇高さを湛えています。&lt;br /&gt;
	ピアノは旋律を支えるだけでなく、繊細な分散和音や装飾音を散りばめ、夜想曲のような幻想的な雰囲気を演出します。&lt;br /&gt;
	ヴァイオリンやチェロのソロとピアノが対話する場面が多く、室内楽の親密な醍醐味が最も味わえる楽章です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3楽章：Scherzo: Vivace（ニ長調）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	軽快で遊び心に溢れた、ウィーンの洒脱さを象徴する楽章です。跳ねるようなスタッカートと、3拍子の軽妙なリズムが支配的です。&lt;br /&gt;
	中間部では一転して、少し落ち着いた抒情的なメロディが現れます。この対比が、ウィーンの社交場のような華やかさを描き出しています。&lt;br /&gt;
	ピアノの左手が鍵盤上を縦横無尽に駆け巡る、ヴィトゲンシュタインの超絶技巧が最も際立つセクションでもあります。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第4楽章：Finale: Vivace（ト長調）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	全曲を締めくくる、輝かしくも技巧的な終楽章です。&lt;br /&gt;
	ロンド的な要素とソナタ形式の要素を併せ持っています。シュミットが得意とした対位法（複数の旋律が独立して絡み合う手法）が随所に見られ、密度が高く知的な構成になっています。&lt;br /&gt;
	最後に向かってエネルギーが蓄積され、ト長調の明るい響きの中で圧倒的な充足感とともに幕を閉じます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;</description>
    </item>
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        <title>バッハ:教会カンタータ 「死人の中より甦りしイエス・キリストを覚えよ」 BWV67(J.S.Bach:Halt im Gedachtnis Jesum Christ, BWV 67)&gt;&gt;&gt;ギュンター・ラミン指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 トーマス教会少年合唱団 他 1954年2月26日録音(Gunther Ramin:Gewandhausorchester Leipzig Thomanerchor Leipzig (Org)Hannes Kastner (A)Gertrud Wagner (T)Gert Lutze (Bass)BJohannes Oettel Recorded on February 26, 1954)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5888</link>
        <description>&lt;h3&gt;「復活祭後第1日曜日（クアシモドゲニティ）」のために書かれた作品&lt;/h3&gt;&lt;h4&gt;バッハ:教会カンタータ 「死人の中より甦りしイエス・キリストを覚えよ&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
ライプツィヒ時代の第1年目、1724年4月16日の「復活祭後第1日曜日（クアシモドゲニティ）」のために書かれた、劇的な作品です。&lt;br /&gt;
復活祭の興奮が冷めやらぬ中、なおも「本当にイエスは復活したのか？」と疑い、不安に揺れる弟子たちの前に復活したキリストが現れ、「汝らに平和あれ」と語りかける聖書（ヨハネによる福音書）の劇的な場面が、そのまま音楽に写し取られています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特に注目すべきは第6曲の「バス・アリア（イエスの言葉）と合唱」です。&lt;br /&gt;
不安に怯える合唱が世の狂暴な敵の攻撃や不信仰への不安を、弦楽器の激しい16分音符に乗せて歌います。&lt;br /&gt;
そこへ突如、木管楽器の優美な3拍子の旋律が流れ、バス（イエスの声を象徴）が「汝らに平和あれ（Friede sei mit euch!）」と、優しく、しかし毅然と歌いかけます。&lt;br /&gt;
激しい「嵐（不安）」と、静かな「凪（平和）」が何度も交錯するこ事で凄まじい緊迫感を生み出します&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第1曲：合唱（Halt im Gedachtnis Jesum Christ）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	新約聖書「テモテへの第二の手紙」第2章8節をテキストにしています。&lt;br /&gt;
	冒頭、弦楽器と木管楽器が復活の勝利を祝うような快活なシンフォニアを奏でた後、合唱が「覚えよ！（Halt!）」という強い呼びかけをカノンで開始します。&lt;br /&gt;
	管弦楽に加わるスライド・ホルンの響きが、復活のメッセージを力強く引き立てます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第2曲：アリア（テノール）（Mein Jesu heist mein Trost allein）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	オーボエ・ダモーレとフルート・トラヴェルソがオブリガート（助奏）を務める軽やかなアリアです。&lt;br /&gt;
	イエスの復活こそが自分の唯一の慰めであり、死の恐怖はすでに去ったという信仰の確信を爽やかに歌います。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3曲：レチタティーヴォ（アルト）（Mein Jesu, heisest du des Todes Gift）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	短くも深い内省的なレチタティーヴォです。&lt;br /&gt;
	イエスが死に打ち勝ったという事実を噛みしめつつも、人間の弱さから生じる心の「疑念」がまだ完全には拭い去れていない、次曲への伏線となる揺らぎを描きます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第4曲：コラール（合唱）（Erschienen ist der herrlich Tag）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	ここで一度、ニコラウス・ヘルマンの有名な復活祭コラール（第14節）が、明るく堂々と歌われます。「主は復活し、サタンは捕らえられた」という勝利の宣言です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第5曲：レチタティーヴォ（アルト）（Doch fasset die Vernunft sich nicht）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	前曲でコラールを歌ったにもかかわらず、人間の理性が「まだ完全に信じきれない、敵（不安や罪）が多すぎる」と再び弱音を吐き、恐れへと引き戻されます。&lt;br /&gt;
	この人間の迷いがあるからこそ、次の第6曲のイエスの顕現が決定的な感動を呼びます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第6曲：アリア（バス）と合唱（Friede sei mit euch!）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	前述の通り、本作のクライマックスです。&lt;br /&gt;
	「汝らに平和あれ」というイエスの言葉が3回、徐々に異なる楽器（弦楽器→オーボエ→フルート）へと受け継がれながら語りかけられます。&lt;br /&gt;
	そのたびに、怯えていた弟子たち（合唱）の心が静まり、最後には「イエスよ、あなたとの結びつきは、体も魂も健やかにします」と救いの喜びへと変わっていきます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第7曲：コラール（合唱）（Du Friedefurst, Herr Jesu Christ）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	ヤコブ・エベルトの賛美歌「平和の君、主イエス・キリスト」の第1節で全曲を締めくくります。&lt;br /&gt;
	第6曲で与えられた「イエスの平和」を永遠のものとして心に刻む、穏やかで敬虔な4部合唱です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;バッハの教会カンタータの概要&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バッハの教会カンタータを総括的に纏め上げてその詳細を述べる能力はありません。さらに言えば、すでに多くの優れたサイトが存在しますので、詳しくはそちらへ！と済ませたいところです。&lt;br /&gt;
しかし、それではあまりにも不親切ですし、さらには自分自身の勉強のためという意味合いも込めて、できる範囲で概観しておきたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まずは、「バッハの教会カンタータとはどのような音楽」だったのか？ということです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツにおいては、今でも日曜日の礼拝でバッハのカンタータを演奏することは日常的な出来事です。それこそ、大小様々な教会において、アマチュアのみならず有名なプロの演奏家もまじえてそれらのカンタータが演奏されます。&lt;br /&gt;
若い頃に何度かヨーロッパを訪れたときには、そのおこぼれに預かったことが何度かあります。&lt;br /&gt;
ですから、バッハの教会カンタータはドイツ人の中においては血肉化していると言っていいほどです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、年の暮れが近づいたときにだけ「にわかキリスト教徒」になり、それから1週間もすれば神社で手を合わせるような国民にとってはその音楽はなじみが深いとは言えません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、それなりにクラシック音楽を聴きなじんでいる人でも、その音楽の佇まいは古典派以降の音楽とはかなり異なります。&lt;br /&gt;
そう言う意味では、古典派の時代になると、バッハの音楽が時代遅れの遺物として忘れ去られた事には理由があるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ですから、「バッハの教会カンタータとはどのような音楽」だったのか？と言う問いに明確な形を得ようとすれば、メンデルスゾーンとともにバッハ・ルネッサンスを実現させたハウプトマンの言葉はきわめて有益です。&lt;br /&gt;
ハウプトマンはバッハの教会カンタータを列車にたとえて、次のように説明してくれています。&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;まずは、先頭に機関車役の導入合唱がきます。&lt;br /&gt;
そして、その機関車に引っ張られるように客車であるアリアやレチタティーボが続きます。&lt;br /&gt;
最後に、郵便列車とも言うべきコラールが連結されます。&lt;/blockquote&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん、200をこえるカンタータの全てがこのような形式を持っているわけではありませんが、しかしこの「概観」は私たちにスタンダードとなるべき一つのフォルムを与えてくれます。&lt;br /&gt;
そして、列車にとってそれを引っ張っていく機関車が主役であるのと同様に、カンタータにおいても冒頭合唱こそが最も重要なんだと言うことをはっきりと示してくれます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまりは、バッハの教会カンタータとは強力な冒頭合唱によって音楽全体が牽引され、そこに伝統的なイタリア・オペラのように魅力あふれる詩を歌い上げるアリアとレチタティーボが展開し、最後をコラールが締めくくるのです。&lt;br /&gt;
音楽を聴くには蘊蓄は不要とは言いますが、それでもこういうフォルムが頭に入っているのといないのとでは、やはり聞きやすさは随分と違ってきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次の問いかけは、「バッハの教会カンタータの適切なグルーピングは如何に？」です&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さすがに200をこえるカンタータを一つの括りとしてとらえるのは、ちと、しんどい話です。&lt;br /&gt;
そこで、たとえば創作の年次や形式などによっていくつかのグループにまとめることができれば、全体像の把握がやりやすくなります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と言うことで、まずは創作年次によるグルーピングです。&lt;br /&gt;
残された記録によると、バッハはその生涯において300をこえるカンタータを創作したと言われていますが、現在まで楽譜が残っているのは200程度です。そして、その残されたカンタータの成立年次を調べてみると、最初期のミュールハウゼンのオルガニスト時代（1707年）から最後のライプツィヒ時代の中頃（1735年）までにわたります。&lt;br /&gt;
つまりは、教会カンタータという音楽形式による創作活動はバッハの生涯のほぼ全てを覆っているわけで、このような音楽形式はこれ以外ではオルガン曲しか存在しません。その意味では、教会カンタータを通してバッハという音楽家の全体像を概観できると言うことを意味しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、さらに細かく見ていくと、ミュールハウゼン時代からライプツィヒ時代にわたって満遍なく創作活動が続けられたわけではないことに気づきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ミュールハウゼンのオルガニスト時代はわずか1年しかなかったのですから、この時代の作品が少ない（おそらく6曲）ことは納得がいきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、それに続くヴァイマール時代（1708年~1717年）は、楽士長に就任した1714年からは月に1曲の教会カンタータの創作が義務となったので、バッハは4年をかけて1教会暦年を満たすことのできるカンタータのセットを創作しようとしたようです。しかし、この試みは人事上のいざこざとすったもんだの末にバッハがこの宮廷を去ってしまったので、志半ばで放棄されてしまうことになります。&lt;br /&gt;
しかし、この時代に生み出されたカンタータはミュールハウゼン時代のカンタータとは全く異なる音楽になっています。それは、ハウプトマンが指摘したような、強力な冒頭合唱によってアリアとレチタティーボが牽引される、バッハ独特の形式がこの時代に出来上がったことを教えてくれます。&lt;br /&gt;
この時代に創作された教会カンタータはおそらく22曲程度だろうと思われます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、これに続くケーテン時代（1717年~1723年）にはいると教会カンタータの創作はぱたりと途絶えます。それは、ケーテンの宮廷がカルヴァン派だったために、教会での礼拝に大規模なカンタータを必要としなかったからです。新年や領主の誕生日には世俗カンタータが演奏されたようなのですが、そのあたりのことも含めて詳細はよく分かっていないようです。&lt;br /&gt;
ただし、この時代のバッハは教会の仕事から解放されたが故に、器楽や室内楽による世俗音楽を（無伴奏のチェロやヴァイオリンの組曲、ブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲など）大量に生み出すこととなります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、これに続くライプツィヒ時代（1723年~1750年）こそが、バッハの教会カンタータにとっての黄金時代となります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ライプツィヒ市のトーマス・カントールという地位についたバッハは、教会における日曜礼拝を全て自作のカンタータで行うことを目指します。この壮大な試みは1723年5月30日にスタートし2年後の1725年5月27日まで続けられます。さらに、同じ年の12月25日のクリスマスからスタートし翌年の11月24日までの1年間もほぼ切れ目なく自作のカンタータで礼拝を行ったようです。&lt;br /&gt;
結果として、このバッハの精勤によって、キリスト教会は3年分のカンタータのセットを手に入れることになります。そして、ドイツの教会は、今も日曜日になると、このバッハのカンタータを倦むことなく演奏し続けることができるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さすがに、1727年以降になると、新作のカンタータを創作する必然性が低下するので作曲のペースは次第に低下していくのですが、それでも資料などによると1735年頃まではポツポツと生み出されていたようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ですから、ザックリとグルーピングをすれば以下のようになります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;若き日のミュールハウゼン時代の作品&lt;/strong&gt;（4・131・106・71・196・150）：&lt;strong&gt;初期様式&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ヴァイマール時代&lt;/strong&gt;（18・208・12・21・54・61・152・172・182・199・31・80・132・161・162・163・165・185・63・70・155・186・147）:&lt;strong&gt;バッハの独自な様式が確立&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ケーテン時代:教会カンタータの創作から離れる&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ライプツィヒ時代（1723年~1725年）&lt;/strong&gt;：（22・23・24・25・40・46・48・64・69・70・75・76・77・89・90・95・105・109・119・136・138・147・167・179・186・194・60・148・158・2・5・7・8・10・20・26・33・37・38・44・59・62・65・66・67・73・78・81・83・86・91・93・94・96・99・101・104・107・113・114・115・116・121・122・130・133・134・135・139・144・153・154・166・178・180・181・184・190・80・173・1・3・6・28・36・41・42・57・68・74・85・87・92・103・108・110・111・123・124・125・126・127・128・151・164・168・175・176・183）:&lt;strong&gt;教会カンタータ創作の黄金時代（1）&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ライプツィヒ時代（1725年~1726年）&lt;/strong&gt;：（79・137・13・16・17・19・27・35・36・39・43・45・47・49・52・55・56・72・88・98・102・169・170・187）:&lt;strong&gt;教会カンタータ創作の黄金時代（2）&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ライプツィヒ時代（1727年~1735年）&lt;/strong&gt;（129・58・82・193・84・188・197・146・157・120・149・117・216・174・120・145・156・159・171・51・120・192・29・112・140・177・9・100・97:&lt;strong&gt;やりきった後にも生み出された作品&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
参考にした資料は「作曲家別名曲ライブラリー」の巻末データです。（あー、しんどかった＾＾；）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バッハという音楽家は若くして完成していたとも言われるのですが、この教会カンタータのように、その時々のアイデアや実験的試みを野心的に投入した作品だと、初期のミュールハウゼン時代からライプツィヒの黄金時代に向けて成熟を深めていく様子が様子がうかがえます。特に導入合唱の充実ぶりはライプツィヒの黄金時代の特徴だと言えます。</description>
    </item>
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        <title>エルガー：セレナーデ Op.20(Elgar:Serenade for String Orchestra in E minor, Op.20)&gt;&gt;&gt;マルコム・サージェント指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1959年6月6日録音(Sir Malcolm Sargent:The Philharmonia Orchestra Recorded on June 6, 1959)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5887</link>
        <description>&lt;h3&gt;妻への結婚記念日のプレゼント&lt;/h3&gt;エルガーは作曲家としての地位を確立するまでは、生まれ故郷でアマチュアを相手にピアノやヴァイオリンを教えたり、指揮者を務めたりしていました。&lt;br /&gt;
イギリスは長く音楽の「消費国」であり、世界的に通用するような作曲家は長く登場していなかっただけに、エルガーにとっても夢と意気込みは持ちながらも雌伏の時だったことでしょう。そして、この「弦楽セレナード」は妻であるキャロライン・アリスに3回目の結婚記念日のプレゼントとして贈られたものでした。1892年5月の事でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
妻のキャロラインはエルガーよりも8歳年上の姉さん女房であり、全く売れない作曲家を支え続けた人でもありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エルガーは1888年に地元のアマチュアメンバーによって構成された弦楽合奏団を指揮して「弦楽オーケストラのための3つの小品」を初演しているのですが。おそらくはその作品をもとに「弦楽セレナード」に書き直したものと考えられています。&lt;br /&gt;
「3つの小品」は「春の歌」（アレグロ）、「エレジー」（アダージョ）、「フィナーレ」（プレスト）で構成されていて、それは「弦楽セレナード」にも引き継がれています。&lt;br /&gt;
ですから、3楽章構成にはなっていますが、演奏時間は10分あまりの小さな作品です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この「弦楽セレナード」を書いた数年後の1899年にエルガーは「エニグマ変奏曲」で大成功をおさめて一躍有名となり、1888年に第2楽章だけが演奏されただけだったこの「弦楽セレナード」も1905年に全曲が初演されました。&lt;br /&gt;
まさに、姉さん女房の内助の功が結実したときでした。</description>
    </item>
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        <dc:date>2026-06-04T15:00:00+00:00</dc:date>
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        <title>ハイドン:弦楽四重奏曲 ハ長調, Hob.III:65(Haydn:String Quartet in C major, Hob.III:651)&gt;&gt;&gt;ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団:1954年録音(Vienna Concert House Quartet:Recorded on 1954)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5886</link>
        <description>&lt;h3&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲「第2トスト四重奏曲」, Op.64&lt;/h3&gt;作品64の「第2トスト四重奏曲」には、トストからの依頼があったという記録は残っていません。&lt;br /&gt;
ヨハン・トストというのはずいぶんと面白い人物だったようで、ヴァイオリンを演奏しながら実業家としても活動していて、軍需品の政府納入によって財をなしたようです。そして、ボヘミアなどに織物工場を形成して成功を収めます。そして、エステルハージ家の家事管理人だった「マドモワゼル・ナネッテ」と結婚をします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみにマドモワゼル・ナネッテは、侯爵夫人が亡くなった後に家事全般を取り仕切った女性で、ハイドンは彼女のことを「女主人」と読んでいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「第2トスト四重奏曲」はそんなトストとマドモワゼル・ナネッテが結婚した年に作曲されています。&lt;br /&gt;
その結婚に際して彼らがハイドンに作曲を依頼したという記録は残っていないのですが、この曲集にはトストが限定的なものながら権利を持っていました。&lt;br /&gt;
おそらく、マドモワゼル・ナネッテからの何らかの依頼があったものだと考えられます、と、いうことでこの曲集もまた「トスト四重奏曲」と呼ばれるようになったよりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なおこの曲集のややこしいのは作品の並び順です。&lt;br /&gt;
ハイドン全集では、曲順はHob.III:65,68,67,66,64,63という並び方を採用しています。&lt;br /&gt;
初版はハイドンの許諾も得て「ヨハン・トスト氏に献呈 作品65」として出版されていて、Hob.III:65,68,67,66,63,64という順番だったようです。&lt;br /&gt;
それでは、Hob.III:63,64,65,66,67,68という並び方は何なのかというと、ザロモン・コンサートでの演奏譜に基づいて出版されたプレイエル全集版に基づくものだそうです。&lt;br /&gt;
このあたり、本当にややこしい！！&lt;br /&gt;
ここではハイドン全集に倣っておきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第63番 ニ長調「ひばり」 Op.64-5, Hob.III:63&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	「ひばり」としてよく知られています。冒頭の雲雀の主題は印象的で、明快なメロディが楽しい音楽です。この第1楽章は変則的なソナタ形式となっています。アダージョ楽章とフィナーレは三部形式でメヌエットは第3楽章におかれています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第64番 変ホ長調 Op.64-6, Hob.III:64&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	第1楽章はソナタ形式で、展開部では対位法的な書法が特徴的です。第2楽章は表情豊かな短調の世界が展開されます。メヌエットは第3楽章におかれトリオを二つ持ちます。&lt;br /&gt;
	フィナーレはハイドンにとっては定型とも言うべきプレスト・ロンドで、どこかオーケストラ的な響きになっています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第65番 ハ長調 Op.64-1, Hob.III:65&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	両端楽章がソナタ形式で、緩徐楽章が第3楽章におかれています。この緩徐楽章は変奏曲形式で美しく魅力的です。第2楽章はメヌエット楽章です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第66番 ト長調 Op.64-4, Hob.III:66&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	第1楽章はソナタ形式で、第2主題が属短調で開始されるのは初期の手法を思い出させます。第2楽章はメヌエット楽章で、第3楽章のアダージョは三部形式で美しい楽章です。&lt;br /&gt;
	終楽章はノットゥルノ第7番を思い出させるジーグ楽章に基づくソナタ形式です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第67番 変ロ長調 Op.64-3, Hob.III:67&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	両端楽章はソナタ形式で、とりわけ第1楽章は多様な楽想を持っています。第2楽章はアダージョ楽章で三部形式と変奏曲形式が混合したような形式です。第3楽章のメヌエットはリズム的な対比が特徴的です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ハイドン:弦楽四重奏曲第68番 ロ短調 Op.64-2, Hob.III:68&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	第1楽章はかなり自由な構成によるソナタ形式で、終楽章は舞曲的な雰囲気が支配的なソナタ形式です。第2楽章のアダージョは2主題による変奏曲形式となっています。&lt;br /&gt;
	第3楽章のメヌエットはリズム感の鋭いモティーフを軸として構成されています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;</description>
    </item>
    <item rdf:about="http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5885">
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        <dc:date>2026-06-02T15:00:00+00:00</dc:date>
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        <title>バッハ:教会カンタータ 「人々シバよりみな来たりて」 BWV65(J.S.Bach:ie werden aus Saba alle kommen, BWV 65)&gt;&gt;&gt;ギュンター・ラミン指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 トーマス教会少年合唱団 (T)Gert Lutze (Bass)BJohannes Oettel 1952年1月11日録音(Gunther Ramin:Gewandhausorchester Leipzig Thomanerchor Leipzig (T)Gert Lutze (Bass)BJohannes Oettel Recorded on January 11, 1952)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5885</link>
        <description>&lt;h3&gt;「顕現節（エピファニア）」のために書かれた作品&lt;/h3&gt;&lt;h4&gt;バッハ:教会カンタータ 「人々シバよりみな来たりて」&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
ライプツィヒ時代の第1年目、1724年1月6日の「顕現節（エピファニア）」のために書かれた作品です。&lt;br /&gt;
東方の三博士が幼子キリストを礼拝し、黄金・乳香・没薬を捧げたという聖書の記述（マタイによる福音書）に基づき、旧約聖書イザヤ書の預言の成就を壮大に祝う、非常に色彩豊かな作品です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バッハはこの曲で、当時のライプツィヒの聴衆の耳を引く極めてユニークな管楽器の組み合わせを試みています。&lt;br /&gt;
角笛（ホルン）2本が「王の到来」を告げる気品と狩猟風の祝祭性を響かせます。&lt;br /&gt;
リコーダー2本と、低音を担う中音域のオーボエ・ダ・カッチャ2本が、東方からの旅人（三博士）の歩みを思わせるエキゾチックで素朴な色彩を添えます。&lt;br /&gt;
これらの管楽器がペアで重なり合う多層的な響きは、バッハのカンタータの中でも独特の美しさを持っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東方からの行列が近づいてくるような視覚的な第1曲から、個人の内面的な信仰へと焦点が絞られていく構成が見事です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第1曲：合唱（Sie werden aus Saba alle kommen）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	旧約聖書「イザヤ書」第60章6節の預言「人々はみなシバから来て、黄金と乳香を携え、主の誉れを宣べ伝える」をテキストにした、壮大な合唱曲です。&lt;br /&gt;
	12/8拍子のゆったりとした、しかし力強いリズムは、ラクダや馬を連ねて進む東方の行列の歩みを想起させます。&lt;br /&gt;
	カノンの技法が使われ、世界中から人々が次々と集まってくる様子が音楽で視覚的に表現されています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第2曲：レチタティーヴォ（テノール）（Die Konige aus Saba kamen dar）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	三博士の礼拝を記したコラールの詩行を交えながら、預言が現実となったことを語ります。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3曲：アリア（テノール）（Gold aus Ophir ist zu schlecht）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	テノール、リコーダー2、オーボエ・ダ・カッチャ2、通奏低音弦楽器を休ませ、木管楽器のアンサンブルだけで伴奏される、極めて美しいアリアです。&lt;br /&gt;
	「オフィールの黄金も、キリストへの贈り物としてはあまりに粗末だ。イエスが求めるのは、私たちの「心」なのだ」と歌います。&lt;br /&gt;
	軽やかで天上の響きを思わせるリコーダーと、深く温かいオーボエ・ダ・カッチャの対比が印象的です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第4曲：レチタティーヴォ（バス）（Was aber bringt ihr dir）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	「では、私たちは何を捧げるべきか」と問いかけ、物質的な富ではなく、信仰に満ちた心を捧げる決意を歌います。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第5曲：アリア（バス）（Ein Christ kann herrlich herzen）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	第1曲の華やかな管楽器（ホルン、リコーダー、オーボエ・ダ・カッチャ）と弦楽器が再び総登場する、歓喜に満ちたアリアです。&lt;br /&gt;
	神に心を捧げたキリスト者が得る霊的な富と喜びが、トランペットのようにも響くホルンの快活な旋律に乗せて、堂々と歌い上げられます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第6曲：レチタティーヴォ（テノール）（Mein Jesus, nimm furgut）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	自分の貧しい心をイエスに差し出す祈りのレチタティーヴォです。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第7曲：コラール（合唱）（Ei nun, mein Gott, so fahr ich hin）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	パウル・ゲルハルトの賛美歌「一日の終わり、わが目は」の第10節を配置し、すべての楽器が重ねられる厳かな4部合唱で全曲を閉じます。&lt;br /&gt;
	現世の富を離れ、ただキリストとともに天の故郷へ向かう魂の平安が歌われます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;バッハの教会カンタータの概要&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バッハの教会カンタータを総括的に纏め上げてその詳細を述べる能力はありません。さらに言えば、すでに多くの優れたサイトが存在しますので、詳しくはそちらへ！と済ませたいところです。&lt;br /&gt;
しかし、それではあまりにも不親切ですし、さらには自分自身の勉強のためという意味合いも込めて、できる範囲で概観しておきたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まずは、「バッハの教会カンタータとはどのような音楽」だったのか？ということです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツにおいては、今でも日曜日の礼拝でバッハのカンタータを演奏することは日常的な出来事です。それこそ、大小様々な教会において、アマチュアのみならず有名なプロの演奏家もまじえてそれらのカンタータが演奏されます。&lt;br /&gt;
若い頃に何度かヨーロッパを訪れたときには、そのおこぼれに預かったことが何度かあります。&lt;br /&gt;
ですから、バッハの教会カンタータはドイツ人の中においては血肉化していると言っていいほどです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、年の暮れが近づいたときにだけ「にわかキリスト教徒」になり、それから1週間もすれば神社で手を合わせるような国民にとってはその音楽はなじみが深いとは言えません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、それなりにクラシック音楽を聴きなじんでいる人でも、その音楽の佇まいは古典派以降の音楽とはかなり異なります。&lt;br /&gt;
そう言う意味では、古典派の時代になると、バッハの音楽が時代遅れの遺物として忘れ去られた事には理由があるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ですから、「バッハの教会カンタータとはどのような音楽」だったのか？と言う問いに明確な形を得ようとすれば、メンデルスゾーンとともにバッハ・ルネッサンスを実現させたハウプトマンの言葉はきわめて有益です。&lt;br /&gt;
ハウプトマンはバッハの教会カンタータを列車にたとえて、次のように説明してくれています。&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;まずは、先頭に機関車役の導入合唱がきます。&lt;br /&gt;
そして、その機関車に引っ張られるように客車であるアリアやレチタティーボが続きます。&lt;br /&gt;
最後に、郵便列車とも言うべきコラールが連結されます。&lt;/blockquote&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん、200をこえるカンタータの全てがこのような形式を持っているわけではありませんが、しかしこの「概観」は私たちにスタンダードとなるべき一つのフォルムを与えてくれます。&lt;br /&gt;
そして、列車にとってそれを引っ張っていく機関車が主役であるのと同様に、カンタータにおいても冒頭合唱こそが最も重要なんだと言うことをはっきりと示してくれます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまりは、バッハの教会カンタータとは強力な冒頭合唱によって音楽全体が牽引され、そこに伝統的なイタリア・オペラのように魅力あふれる詩を歌い上げるアリアとレチタティーボが展開し、最後をコラールが締めくくるのです。&lt;br /&gt;
音楽を聴くには蘊蓄は不要とは言いますが、それでもこういうフォルムが頭に入っているのといないのとでは、やはり聞きやすさは随分と違ってきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次の問いかけは、「バッハの教会カンタータの適切なグルーピングは如何に？」です&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さすがに200をこえるカンタータを一つの括りとしてとらえるのは、ちと、しんどい話です。&lt;br /&gt;
そこで、たとえば創作の年次や形式などによっていくつかのグループにまとめることができれば、全体像の把握がやりやすくなります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と言うことで、まずは創作年次によるグルーピングです。&lt;br /&gt;
残された記録によると、バッハはその生涯において300をこえるカンタータを創作したと言われていますが、現在まで楽譜が残っているのは200程度です。そして、その残されたカンタータの成立年次を調べてみると、最初期のミュールハウゼンのオルガニスト時代（1707年）から最後のライプツィヒ時代の中頃（1735年）までにわたります。&lt;br /&gt;
つまりは、教会カンタータという音楽形式による創作活動はバッハの生涯のほぼ全てを覆っているわけで、このような音楽形式はこれ以外ではオルガン曲しか存在しません。その意味では、教会カンタータを通してバッハという音楽家の全体像を概観できると言うことを意味しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、さらに細かく見ていくと、ミュールハウゼン時代からライプツィヒ時代にわたって満遍なく創作活動が続けられたわけではないことに気づきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ミュールハウゼンのオルガニスト時代はわずか1年しかなかったのですから、この時代の作品が少ない（おそらく6曲）ことは納得がいきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、それに続くヴァイマール時代（1708年~1717年）は、楽士長に就任した1714年からは月に1曲の教会カンタータの創作が義務となったので、バッハは4年をかけて1教会暦年を満たすことのできるカンタータのセットを創作しようとしたようです。しかし、この試みは人事上のいざこざとすったもんだの末にバッハがこの宮廷を去ってしまったので、志半ばで放棄されてしまうことになります。&lt;br /&gt;
しかし、この時代に生み出されたカンタータはミュールハウゼン時代のカンタータとは全く異なる音楽になっています。それは、ハウプトマンが指摘したような、強力な冒頭合唱によってアリアとレチタティーボが牽引される、バッハ独特の形式がこの時代に出来上がったことを教えてくれます。&lt;br /&gt;
この時代に創作された教会カンタータはおそらく22曲程度だろうと思われます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、これに続くケーテン時代（1717年~1723年）にはいると教会カンタータの創作はぱたりと途絶えます。それは、ケーテンの宮廷がカルヴァン派だったために、教会での礼拝に大規模なカンタータを必要としなかったからです。新年や領主の誕生日には世俗カンタータが演奏されたようなのですが、そのあたりのことも含めて詳細はよく分かっていないようです。&lt;br /&gt;
ただし、この時代のバッハは教会の仕事から解放されたが故に、器楽や室内楽による世俗音楽を（無伴奏のチェロやヴァイオリンの組曲、ブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲など）大量に生み出すこととなります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、これに続くライプツィヒ時代（1723年~1750年）こそが、バッハの教会カンタータにとっての黄金時代となります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ライプツィヒ市のトーマス・カントールという地位についたバッハは、教会における日曜礼拝を全て自作のカンタータで行うことを目指します。この壮大な試みは1723年5月30日にスタートし2年後の1725年5月27日まで続けられます。さらに、同じ年の12月25日のクリスマスからスタートし翌年の11月24日までの1年間もほぼ切れ目なく自作のカンタータで礼拝を行ったようです。&lt;br /&gt;
結果として、このバッハの精勤によって、キリスト教会は3年分のカンタータのセットを手に入れることになります。そして、ドイツの教会は、今も日曜日になると、このバッハのカンタータを倦むことなく演奏し続けることができるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さすがに、1727年以降になると、新作のカンタータを創作する必然性が低下するので作曲のペースは次第に低下していくのですが、それでも資料などによると1735年頃まではポツポツと生み出されていたようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ですから、ザックリとグルーピングをすれば以下のようになります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;若き日のミュールハウゼン時代の作品&lt;/strong&gt;（4・131・106・71・196・150）：&lt;strong&gt;初期様式&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ヴァイマール時代&lt;/strong&gt;（18・208・12・21・54・61・152・172・182・199・31・80・132・161・162・163・165・185・63・70・155・186・147）:&lt;strong&gt;バッハの独自な様式が確立&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ケーテン時代:教会カンタータの創作から離れる&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ライプツィヒ時代（1723年~1725年）&lt;/strong&gt;：（22・23・24・25・40・46・48・64・69・70・75・76・77・89・90・95・105・109・119・136・138・147・167・179・186・194・60・148・158・2・5・7・8・10・20・26・33・37・38・44・59・62・65・66・67・73・78・81・83・86・91・93・94・96・99・101・104・107・113・114・115・116・121・122・130・133・134・135・139・144・153・154・166・178・180・181・184・190・80・173・1・3・6・28・36・41・42・57・68・74・85・87・92・103・108・110・111・123・124・125・126・127・128・151・164・168・175・176・183）:&lt;strong&gt;教会カンタータ創作の黄金時代（1）&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ライプツィヒ時代（1725年~1726年）&lt;/strong&gt;：（79・137・13・16・17・19・27・35・36・39・43・45・47・49・52・55・56・72・88・98・102・169・170・187）:&lt;strong&gt;教会カンタータ創作の黄金時代（2）&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;ライプツィヒ時代（1727年~1735年）&lt;/strong&gt;（129・58・82・193・84・188・197・146・157・120・149・117・216・174・120・145・156・159・171・51・120・192・29・112・140・177・9・100・97:&lt;strong&gt;やりきった後にも生み出された作品&lt;/strong&gt;&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
参考にした資料は「作曲家別名曲ライブラリー」の巻末データです。（あー、しんどかった＾＾；）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バッハという音楽家は若くして完成していたとも言われるのですが、この教会カンタータのように、その時々のアイデアや実験的試みを野心的に投入した作品だと、初期のミュールハウゼン時代からライプツィヒの黄金時代に向けて成熟を深めていく様子が様子がうかがえます。特に導入合唱の充実ぶりはライプツィヒの黄金時代の特徴だと言えます。</description>
    </item>
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        <title>バルトーク:子供のために Sz.42(Bartok:For Children, Sz.42)&gt;&gt;&gt;(P)ジェルジ・シャーンドル:1951年1951年9月12日録音(Gyorgy Sandor: Recorded on September 12, 1951)</title>
        <link>http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=5884</link>
        <description>&lt;h3&gt;教育用ピアノ曲のあり方を大きく変えた作品&lt;/h3&gt;この作品は「子供のために」としながらも、「子供向けの練習曲」にとどまらない魅力を持っています。&lt;br /&gt;
この曲集の最大の特徴は、バルトークがハンガリーやスロバキアの各地で実際に農民から採集した本物のわらべ歌や民謡をベースにしている点です。&lt;br /&gt;
子供たちが最初に触れる音楽として、作り物ではない「土地に根ざした生命力のあるメロディ」を与えたいという、バルトークの教育者としての情熱が込められています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確かに、「子供のために」と題されている通り、1オクターブに手が届かない子供でも弾けるように和音の幅を調整するなど、技術的には初心者でも弾けるよう工夫されています。&lt;br /&gt;
しかし、その中身は驚くほど近代的で、長調・短調だけでなく、民謡特有の旋法(モード)が使われています。これにより、子供たちは早い段階から「ドレミ」以外の多様な音の並びや、20世紀音楽の新鮮な響きに触れることができます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曲集は、その後の教育用ピアノ曲のあり方を大きく変えました。&lt;br /&gt;
それまでの練習曲が「指を動かすための機械的な訓練」に偏りがちだったのに対し、バルトークは「音楽的な感性を養い、同時に自国の文化を知る」ことを重視したのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主な楽曲をいくつか紹介しておきます。&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;第1巻・第2巻（ハンガリー民謡編）より:ハンガリー編は、短く、はっきりとした性格を持つ曲が多いのが特徴です。&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第1曲「遊んでいる子供たち」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	誰もが一度は耳にしたことがあるような、素朴で愛らしい旋律から始まります。&lt;br /&gt;
	ハ長調の非常にシンプルな指使いですが、バルトークの音楽世界の入り口として完璧な一曲です。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第3曲「合唱」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	左右の手が追いかけっこをするような「カノン」の形式を学べます。&lt;br /&gt;
	子供向けの短い曲の中に、バルトークが得意とした対位法の基礎が隠されています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第13曲「バラード」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	少し悲しげでドラマチックな響きです。&lt;br /&gt;
	ハンガリーの古い物語を読み聞かせているような、情緒豊かな表現力が求められます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第21曲「冗談」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	スタッカートが多用される、非常に快活な曲です。&lt;br /&gt;
	バルトークらしい、少し「ひねり」の効いた和音のスパイスが、ユーモラスな雰囲気を演出しています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第40曲「豚飼いの踊り」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	ハンガリー編を締めくくる、最も有名な一曲です。&lt;br /&gt;
	激しいリズムと力強いアクセントが特徴で、『アレグロ・バルバロ』にも通じる「打楽器的なピアノ」の片鱗を感じることができます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;h4&gt;第3巻・第4巻（スロバキア民謡編）より:スロバキア編は、ハンガリー編に比べると旋律がより長く、叙情的で少し複雑な響きを持つ曲が増えます。&lt;/h4&gt;&lt;br /&gt;
&lt;ol&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第42曲「草刈りの歌」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	スロバキアの美しい田園風景が浮かぶような、のどかなメロディです。&lt;br /&gt;
	民謡特有の、少し「ため」のあるリズムを学ぶのに適しています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第57曲「悲しみ」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	非常に美しく、胸を打つ小品です。&lt;br /&gt;
	バルトークは、子供が持つ繊細な感情を、決して子供騙しではない「本物の和音」で描いています。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第58曲「踊り」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	「ルーマニア民俗舞曲」を彷彿とさせる、軽快なステップの曲です&lt;br /&gt;
	。拍子の感覚が途中で変化するような、独特のドライブ感があります。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
	&lt;li&gt;&lt;strong&gt;第79曲「わらべ歌」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
	曲集の最後を飾る、静かで祈りに満ちた一曲です。深い余韻を残しながら全巻を閉じます。&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/ol&gt;</description>
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